FC2ブログ

記事一覧

隠岐芳樹「戦後70年と 最終回」を読んで

 革共同再建協の『未来』10月15日号に 隠岐芳樹氏が「戦後70年と<天皇> 最終回―近代日本の民衆の闘いを総括し天皇制に打ち克つ道を見だそう」を寄稿されています。 その中で 本多延嘉さんが1960年11月に発表した「天皇制ボナパルティズム論」について 以下4点の問題点をあげています。
   ① 労働者階級のあるがままの姿をとらえることを怠って、資本家階級と均衡
   しているという現実離れした過大評価に陥っている。
   ② 「階級を超越した権威」である天皇が、具体的にどのようなかたちで階級
   対立を緩和する役割を果たしたかという点に言及していない。
   ③ 天皇制を統治形態という側面からとらえるだけで、支配される側の労働者
   人民の内面を視野に入れていない。
   ④ 戦後日本の国家体制を「議会制民主主義」であると簡単に片付け、天皇制
   を「国家の正面にしみついた紋章にまで去勢されている」と不当に低く見て
   いる。
 
 ①について。筆者は「近代的ボナパルティズムは、ブルジョアジーとプロレタリアートの均衡を根本条件とする。・・・・」とボナパルティズム規定を正しく押えながらも 「戦前の日本で、労働者階級は資本家階級と均衡していると言えるまでに成長していたであろうか」と問題を立て 「労働者の組織率はピークの1931年でさえ7.9%に過ぎなかった」から「均衡」とは言えない(つまり本多天皇制ボナパルティズム論は間違い)と述べておられます。だが 天皇制をどう考えるかの論理(代案)は 提示されていません。
 この「労働者の組織率」は 全労働者の総数(対人口比)ではなく、全労働者のうち労働組合に組織されている労働者の割合を指していると思いますが 最近の労働者の組織率は18%です(最近は年々下がっています)。だから本多さんは 組織されているか否かにかかわらず、資本家階級と労働者階級が対立・均衡していたと見ていたのではないのですか。
 その上で 労働者の「成長」を階級対立の問題として論ずるのなら 資本家の「成長」も同時に明らかにしなければダメだと思います。もし 資本家が十分に「成長」していたのであれば 天皇を担ぐ必要などなかったのではありませんか。資本家と労働者との「成長」度の比較は 質の比較なので、数値的には不可能であり 量的比較に換算すれば 当時の産業資本(家)の生産が全生産に占める割合は幾らだったかです。数値は知りませんが 当時は実体経済が基軸で生産性はまだ低かったので 産業資本(家)のその割合は 全労働者の総人口に対する比率とそんなに変わらなかったと思います。つまり(産業)資本家・労働者のどちらもがまだ発展・拡大途上だったと思います。しかし そのどちらの比率も小さかったとしても 国をあげて資本主義化していこうとしていたのだから 基軸・先端はその対立にあると考えるべきではないのですか。しかも ヨーロッパでは 1871年のパリ・コミューンに示されるように 労働者の権力が短期間とはいえすでに成立していたのですから。
 さらに言えば 「労働者の成長」を組織率で示すのは 第二インターの例を見るまでもなく いかがなものかと思います。特に 戦前と現在とでは 労働者の権利など労組をとりまく環境が大きく異なるので 単純に数字では比較できないと思います。また現在 労働組合に組織されている多くは 大企業と国家・自治体の正規職の労働者です。同じ職場で働いているにもかかわらず 非正規職の労働者を組合から排除しているところが多々あります。この様な「資本しがみつき」を「労働者の成長」とはとても言えません。
 ②について。筆者は「天皇が…階級対立を緩和する役割を果たした」「具体的に言及していない」と批判していますが 具体例をあげるまでもなく、あまりにも明らかではありませんか。階級対立を打ち消す「天皇の赤子」という言葉が、あるいは敗戦ではなく「終戦」という言葉が それを最もよく示しています。また 筆者自身が記しているように 弾圧や転向強要の口実に天皇が持ち出されていました。先進部分への弾圧や転向強要で 階級闘争そのものが爆発することを未然に防いでいたのではないのですか。
 資本と真剣に闘かいながらも 天皇制を資本主義日本の支配・統治形態として措定できていなかった(封建制の残滓規定ゆえに)から 足をすくわれたのではないのですか。
 ③について。だから ③の批判はまったく逆です。資本主義日本の支配・統治形態として天皇制を規定する(解明し位置づける)ことが 戦前の敗北を総括し、突破できる根拠・土台を作り出せるのです。筆者自身が記すように 本多さんの天皇制ボナパルティズム論は 天皇制ファシズム論と天皇制絶対主義論との現象論に陥った間違いどおしの不毛な論争に終止符を打ち 日本資本主義(の国家=支配・統治形態)を正しく分析する導きの糸なのです。
 天皇(制)とは 663年白村江の闘いで唐に敗北し弱体化した倭国(九州にあった)を打ち倒して成立した大和朝廷が 中国を意識して皇帝に代えて自称した名称です(唯物史観の定式では 天皇はアジア的生産様式の王=支配者にあたります)。もちろん 天皇一族(『記』『紀』の神武・崇神系とすれば 他に継体系、応神系などがあります)は 中国の統一国家形成過程で敗北し、3世紀末に日本に逃げてきていた揚子江周辺にいた王朝・呉の末裔です。しかし 日本の民衆は 農耕民である弥生人の子孫であり 他人を打倒・支配するという文化を持ち合わせていませんでした(もともと農耕民は 狩猟民=遊牧民・採取民が住めないあるいは生活できない湿地帯に生存の地を求めたのです)。それが天皇制が今も続いている原因なのです。お隣りの中国では 大昔から王朝の交替が繰り返され、「革命思想」があったにもかかわらずです。これが革命を一度も起こせなかった日本民衆の弱点なのです。革命を一度経験し、自己権力を打ち立てない限り この日本民衆の弱点は克服できないと思います。
 筆者は「支配される側の労働者人民の内面を視野に入れていない」と述べていますが 支配・被支配の関係は 支配しようと思っている人がいるから成立するのであって 支配されようと思っている人が仮にいたとしても成立するものではありません。支配されている人が 支配はイヤだと思っていても、支配者を打倒するという意思がなければ 支配する側の意思が貫徹するのです。単なるイヤだではなく、打倒しようとする意思です。上記のようにここを問題にしないで「労働者人民の内面」を問題にすることは 「君たちがだらしないから支配されているのだ」と論理を逆転させるものであり 支配者のデマ(本当は支配者が支配したがっているのに、そうは言わない)を補強するものに過ぎません。
 ④について。筆者は「戦後の国家体制を議会制民主主義であると簡単に片付け、天皇制を…不当に低く見ている」と述べていますが 筆者は論文の前の方で 90年天皇決戦を「大衆的基盤のうえに戦われたのか否か」と問題点を指摘しながらも 天皇決戦はすばらしかった(正しかった)と述べています。もし 「天皇制を…不当に低く見ていた」のなら 総力をあげた決戦など闘えなかったのではありませんか。そもそも決戦の提起すらなされなかったでしょう。私は 戦後の日本の国家体制は 議会制民主主義と天皇制(ボナパルティズム)との混合・折衷物だと見ています。だからどちらも中途半端なのです。
 最近の報道を見ていると 天皇の方が安倍首相よりも何倍も「平和主義者」のように見えますが(安倍の意を汲むNHKは 昨年の天皇誕生日の談話や今年の新年の挨拶をそのまま放送しないで、戦争政策を批判したと思われるところはカットして放送した とある集会で聞きましたが) 安倍が日本金融資本の生き残りをかけて戦争推進政策を押し進めているのに対し 天皇は天皇制が維持・継続できるかどうかで考えているのです。

 筆者は結語で「戦争国家化の動きが加速している今、日々の実践のなかで、天皇制=ニセの共同体にかわる真性の共同体を構築する芽を育てよう。近代日本150年の民衆の闘いを総括し、未来社会への展望を切り拓く可能性を秘めた闘いを追体験しよう。さらに、それをもたらした主体的契機を追求しよう。そこに天皇制イデオロギーに打ち克つ道が見えてくるであろう」と3点述べています。1点目と2点目は 「真性の共同体」など具体性(イメージ)に欠けてはいますが、間違いとは言えませんが 3点目は なんと「天皇制」が消え、「天皇制イデオロギー」だけになっており まったく間違っているだけでなく 観念論そのものです。
 天皇制という実体があるから天皇制イデオロギーがあるのであって 天皇制がなくなれば天皇制イデオロギーは自然と消滅します。民衆が自己権力を確立したとき その対極にある天皇制は廃絶されるでしょう。天皇制をなくす(廃絶・打倒)を措定しないで どうして「天皇制イデオロギーに打ち克つ道」があると言えるのかです。批判はすでに③で述べたので繰り返しません。天皇制イデオロギーをそれとして批判したいのなら その核心である大和朝廷によって創作され、明治政府によって民衆にまで押し付けられた「神話」=「万世一系の天皇」論を 真実でもって批判しきることだと思います。
 本多さんの天皇制ボナパルティズム論の凄いところは 天皇制を資本主義日本の国家体制・統治形態として明らかにしたことで それまでの日本の全左翼の根本的誤りを克服する導きの糸を指し示したということにとどまらず 社・共にかわる新しい真の革命党を創るためには これまでの全左翼を「論敵」に回してでも、マルクスに依拠した正しい・まったく新しい論理を構築せねばならないということを示されたことではないでしょうか。


大 阪 W 選 挙 に 思 う
――――――――――――
 11月22日におこなわれた大阪W選挙は 闘っている人たちの危機感とは逆に 「下馬評通り」橋下率いる大阪維新の会が「勝利」した。
 ある集会で リニア新幹線に反対している人が「リニア新幹線を推進している自民党に投票しましょう」と発言していましたが 聞いていた私には自嘲気味と見えました。そこに 今回の政治状況・選択が凝縮されて表現されていると思いました。今回のW選挙は 大阪維新の会と自民党とのどちらを選ぶかという選挙であり いわばファシズムとボナパルティズムとのどちらを選ぶかというものです。民衆にとっては どちらも選ぶ対象ではありません。だが闘う人たちは 維新を落とすためにと自民党を押し 民衆のための政治という第3極を登場させなかったために 民衆は闘わずして敗北したと言えます。
 沖縄での「オール沖縄」の闘いの勝利に煽られたと思われますが 対立軸はまったく異なります。沖縄は ある意味ファシズム的(安倍政権)対民衆で、ボナパ(沖縄の資本家)が民衆に寄りそうことで「オール沖縄」が成立したのですが 大阪の対決軸は ファシズム対ボナパなのです。対決軸に民衆が登場していません。
 階級対立の社会では 一般的には 支配―被支配の関係により上下の2極対立ですが 社会が危機に陥ったときには 支配階級が分裂するため 逆三角形の3極対立となります。レーニンが革命情勢のメルクマールとして「支配階級がこれまで通りではやって行けないと思っている」ことをあげていますが それを言い替えたら 支配階級の分裂であり、逆三角形の3極対立なのです。この危機の時の基本構図を見すえた方針が闘う人たちには問われていたのですが 一般論と危機の時の基本構図の違いがまったく理解されずに 2極対立で考えた方針を民衆に提示したということです。つまり 共産党が独自候補を見送り自民党を支持すると発表した時点で 民衆の不戦敗は確定していたのです。
 さらに言えば 闘う人たちは 5月の住民投票と今回の選挙との構図の違いをまったく理解していなかったのではないかと思われます。一つのテーマで賛否を争うときは 立場が違っても反対で共闘を組むことは可能ですが 自治体の首長や内閣を選ぶときには 当然、立場の違いが優先されるということです。
 だから 共産党の戦争法反対で国民連合政府をつくろうという提案も 同じことが言えます。政権に直結しない参議院選挙では 戦争法反対での選挙協力は可能だと思いますが国民連合政府をつくろうと言ったら政権問題であり 話は違ってきます。民主党はまず乗ってこないでしょう。おそらく 共産党は良かれと思って提案したのだと思いますが 現実は民衆の闘いに冷水を浴びせかけることになるのです。
 なぜ正しいと思って間違った方針になるのかと言えば 1つは 先に述べたように危機の時の階級対立の構図が掴めてないということであり 2つは そうなる根拠でもありますが 民衆の決起を追求するのではなく 自らの当選や勝敗に目がいき、民衆をその応援団としてしか見ていないからなのです。この誤りの2つの根拠は 共産党を批判してきた新左翼にも当てはまると思います。
 今回の大阪W選挙で言えば 自民党と共産党がそれぞれ候補者を立て (互いの批判は差し控え)反維新を競いあえばよかったのだと思います。そして両者の合計で維新票を上回れば 民意は維新を支持していないと言い切れたのです。

 問題は 資本主義が危機に陥ると ボナパよりファシズムの方が優勢になるということです。「資本主義が危機に陥ったとき金融資本がファシズムを使嗾する」と言われてきたように 自ら新たな価値を生み出さない金融資本(貸付貨幣資本)は 「変革・改革」を掲げ、これまでの他人の儲け構造を破壊して自らの儲け場所に換え 生産によって創られる新価値を生産資本および労働者から奪い取ろうとします。その「変革・改革」が 没落させられていってるが故に中間層(民衆)にとっては「希望の星」に見えるのです。だから 危機の時代には 第3極=民衆の闘いを明示に示すことが 決定的に重要なのです。
 その上での話ですが 日頃テレビを見ていて マスコミは大阪維新の応援団になり下がっていると思いました。だから 闘う人たちがマスコミに負けたと言えなくもありませんが。住民投票の時は 宣伝は「何でもあり」だったので 辻説法で押し返しました。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント