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『「革共同50年」私史』を読んで

『「革共同50年」私史』を読んで
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 尾形史人著『「革共同50年」私史―中核派の内戦戦略=武装闘争路線をめぐって』(社会評論社 2200円 2016.9発行 約400頁)を読みました。
 筆者は 経歴紹介より1950年生まれで、横浜で高校生運動に参加し、69年法政大学に入学し、71年中核派系全学連の副委員長に選出され、99年に革共同を離党した 約30年間中核派で活動してきたメンバーです。私は 世代および地方が異なるのでまったく面識はありませんが 85年5月筆者が芦屋で逮捕されたとき、新聞で名前は知りました。当時ウラでは本名を一切使わずペンネームで呼び合っていたので 新聞にでた本名を見て周りの誰も知らなくて「これは誰だ」と話題になったと記憶しています。
 本書は 70年闘争過程(68年~71年)を大衆的武装闘争的に果敢に闘い抜いたが、「革命的情勢の接近」と規定したことは無理があった しかも その後もそのままの武装闘争路線で闘ってきたことは誤りで 党の極小化と変質をもたらしたと提起しています。中核派の活動に一度でも参加した人にとっては 自らの過去を見つめ総括する視点・論点を展開していると思われるので ぜひ読まれることを薦めます。中核派の活動に関わったことのない人にとっては 本書は「暴露本」ではないので「つまらない」と思います。

 本書は3部構成で 第1部:「70年世代」としての私の歩み 第2部:内乱・蜂起をめざした革共同の敗北 第3部:いくつかの理論問題と課題 となっています。第1部と第3部は個人史とテーマごとの理論問題なのでわりとすらすらと読めたのですが 本書の半分を占める第2部は革共同の50年間の基本路線の総点検になっていて その時自分はどう思ったのか、そして今どう思っているのかが問われ なかなか進みませんでした。第2部の個々について述べることは私自身の「50年史」を書くようなもので、力量的にも体力的にも無理であり、かつウラ生活の習性として過去の文書類はすべて却していて 評論としては 筆者には失礼ですが、大雑把な感想・印象の域を出ません。
 第1に 先に述べたように 誠実な人だと思いました。06年の3.14(関西での与田の追放)に触れたところで 「清水議長には、人を見る力がなかった。大言壮語と張ったりを言う人間に、ろくな人物はいないのである」と述べています。筆者の真面目さが伝わってきますが 同時に清水・与田に対する実に的確な認識と思いました。ただ 清水について「人を見る力がなかった」のは結果であって 本多さんの死によって転がり込んだ自らの党内権力を維持したいという強い権力志向が 周りに茶坊主を侍らせた、あるいは周りを茶坊主にしてしまった原因だと思います。これが 筆者が言うように党を官僚主義的・軍令主義的に変質させた直接の原因だと思います。
 第2に さすが中央で闘ってきた人だなと思いました。一地方の一活動家にすぎない私などは 路線や基本政策は指導部からの提起を正しいものとして受け取る以外なかったのですが(例えば 第4インターへのゲバや浅草橋戦闘について当初反対しましたが、中央で決めたから従ってくれと言われたら黙るしかありませんでした。下部主義と言うより反論するだけの材料を持ちあわせていなかったからです) 路線や方針の転換場面での中央の問題意識などが随所で述べられていて そう思いました。だから本書は 個人の見解・総括でありながら、皆が考える論点整理になっていると思います。
 第3に 筆者は根からの中核派だと思いました。それは 全体を通して資本主義経済の基本動向に対する言及がほとんど無いに等しく そう思いました。中核派のメンバーは、過去の私も含めてですが 良しにつけ悪しきにつけ政治が好きな人たちです。だが 民衆のマス的意識は 下部構造である経済の基本動向によって規定されています。経済の基本 動向に対する無関心と民衆の闘いを措定しない考えとは 同根だと思います。それを理論的に支えていたものこそ 清水によって党内に持ち込まれた宇野経済学だと思います。清水は 共産党・スターリン主義に批判的な経済学理論として政治主義的に宇野経済学を採用したのだと思いますが それは同時に宇野経済学に習って マルクス経済学、特に『資本論』を否定・歪曲する処にまで行き着いたと思います。その良い例が仲山良介著『「資本論」の研究』で 仲山の「いまここで述べたことが宇野の提起していることと全部同じであるわけではない。それは、内容的には、あくまでわれわれ独自の『資本論』の把握に他ならないのである」に続けて 清水はわざわざ「宇野弘蔵自身も『私とは関係ない』と言うに決まっている」と注解をつけています。仲山の論述が、暗に宇野と同じだと認めているが故に 清水は内容的にはまったく意味のない注解をつけたのだと思います。マルクス自身と相対しないでマルクス主義者と言えるのかです。
 筆者は 70年代前半以降運動は退潮したと述べていますが その原因は何であったかはまったく述べていません。退潮したのは事実ですが 中核派だけでなくすべての党派・グループ、更に(と言うか、最も顕躇だったのは)労働組合でした。だからその原因は 中核派の理論・基本路線にあったのではなく、資本主義経済の基本動向にあったのです。ここを明らかにしない限り総括にはならないと思います。水野和夫は 74、5年恐慌後、資本主義は「仮想空間」を創り出し生き延びてきたが その仮想空間も行き詰まり(08年リーマンショックがそれを明らかにした)、資本主義はいま終焉を迎えているから 資本主義の発展論的発想を捨て 2、3世紀かけて次の社会を考えようではないかと述べています。この仮想空間創出の変化を マルクスの理論で明らかにできないかぎり 革命党としての理論とは言えないと思います。資本主義経済の基本動向を対象化できない根本的誤りです。
 マルクスは 『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻で 産業資本の循環(G-W…P…W'-G')を明らかにして 利子生み資本(貸付貨幣資本)は産業資本の循環の外部にあると説明しています。つまり 貨幣は 流通手段と資本・利子生み資本という2つの規定を受け取り さらに その貨幣資本は架空性を生じます(金融商品など)。だが宇野は 利子生み資本を「資金」とし架空資本を「資本」とすることで「信用論」と言いかえ 架空資本を分析する視点を追放してしまったのです。だから清水は 74、5年恐慌後の資本主義の変化を理論的に説明できないため 説明抜きの現代戦争テーゼを押し付けたのです。
 資本主義のこの変化を創り出したものこそ 71年のニクソン・ショックによるドルの金兌換停止です。つまり 貨幣そのものが実体経済から切り放され 国債発行による実体経済に依拠しない通貨が毎年投入され 実体経済の過剰生産による破局・危機爆発は先延ばしされたが 投入した通貨は利子生み資本に転化し、架空の貸付貨幣資本が基軸となる経済へと転換したのです。68年~71年の「革命的情勢」は 実体経済としての帝国主義的発展が行き詰まり それ故全ての面で帝国主義化しようとする攻撃が激化し、それへの抵抗として生じたのです。だから多くの若者が 全否定的に帝国主義打倒・自己解放を掲げて決起したのだと思います。
 第4に カクマルについて 筆者は「革マル」と表記し 民間反革命であるがファシストではないとしています。その根拠として 革マルはナチスのように大衆運動としては展開していないと述べています。また 具体的戦争はどう終わらせるかが問題で ファシスト規定は戦争の終わりを考えないもので間違っていたと述べています。
 だが カクマルが大衆運動的に展開できなかったのは われわれが軍事的に対抗したからではないのですか。もし 71年後半のようにわれわれがやられぱなしであれば カクマルは 69年の東大闘争のように大衆運動の領域でも反革命的策動を繰り広げたと思います。さらに 国鉄分割・民営化の時、カクマルが牛耳る動労は動労千葉を襲撃してきましたが これは組合レベルつまり大衆運動レベルの襲撃です。また 戦争終結を考えていたのかについては 中央は終結を考えて黒田には手を出すなと指示していたと、後になって聞いたことがあります。カクマルの方から本多さんを虐殺することで絶対戦争に持ち込んだのです。だから私は カクマル、特に黒田は心情的にもファシストに行き着いていたといまも思っています。『実践と場所』で示された黒田の日本主義は 左翼と相入れないものです。
 第5に だから筆者は 先制的内戦戦略を情勢が退潮しているのに武装闘争路線の継続として打ち出されたものだから間違いだったと指摘しています。私は カクマルの襲撃が続く以上、党の路線としてはそれしかなかったと思いますが 間違いは 民衆・階級の闘いをそれとして措定しないで、先制的内戦戦略のもとに組み入れてしまった誤りだと思います。つまり 階級闘争が退潮していく中でも70年闘争で明らかになった暴力革命の必要性を堅持したことは意義があったと思いますが 間違いは「闘い」そのもので 例えば浅草橋戦闘は 敵・国家権力やカクマルに打撃を与えるものではなく、動労千葉の闘いの「応援」でしかなかったということです。それも 労働者がストライキで電車を止めようとしているときに、部外者による火災で止めるということは 労働者の闘いを信用していないということになります。浅草橋戦闘と第2の11月の松本楼炎上は 大衆闘争の武装的決起を追い求めるものではなく、イベントであり 軍事の扱いとして間違っていたといまも思います。これらは 革共同の路線からさえ逸脱した闘いであり それまでの支持者たちが離れていった契機になったと思います。
 第6に 筆者は 第3部で レーニンの誤りとして農業・農民問題と民族問題をあげています。その指摘はまったく正しいのですが 先月号で述べた、労働者にとってはどうだったのかという根本問題が欠落していると思います。土地それ自身は価値を生みません。農民の労働があってはじめて価値・生産物ができるのです。自ら労働しながらも農地を所有する農民は 資本主義社会ではプチブル階級と規定されますが 未来社会では生産=労働者で、工場労働者と同じになります。工場労働者も未来社会では共有ではありますが生産手段を所有しています。だから 労働者が自らを生産と社会の主人公として共産主義に向かっていたら 農民は自然とそれに合流してくると思います。レーニンが革命後、生産協同組合化を否定し個人責任制に転換し そのために「労働者統制論」として労働組合を強調したことは まさしく逆行以外の何ものでもなかったのです。農民も民族も資本主義社会での概念です。だから 労働者にとってどうであったかという核心を欠落させて、批判を越えそれのみで積極的に展開すると 批判は正しくても革命の否定に行き着くと思います。その良い例が白井朗だと思います。2009年11月号の評論で述べた通りです(過去の評論はブログ「資本主義の終わり論」を見て下さい)。
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