FC2ブログ

記事一覧

2017年上期景気動向分析

花山君のレポートが長いので、ひとくち評論はお休みします。

2017年上期景気動向分析
―――――――――――――                 花 山 道 夫
(1) 学問としては全く成り立たない新古典派
内閣参与・浜田宏一 持論を撤回、金融緩和政策の失敗を認める
 以下は日本経済新聞2016/11/15からの引用。
  ― 日銀は国債の買い入れを年80兆円増やしましたが、4年たっても物
    価は目標とする2%に達していません。
  「国民にとって一番大事なのは物価ではなく雇用や生産、消費だ。最初の
  1、2年はうまく働いた。しかし、原油価格の下落や消費税率の5%から
  8%への引き上げに加え、外国為替市場での投機的な円買いも障害になっ
  た」
  ― デフレ脱却に金融政策だけでは不十分だったということですか。
  「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな
  現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考
  えが変わったことは認めなければならない」(下線 引用者)
  「(著名投資家の)ジョージ・ソロス氏の番頭格の人からクリストファー
  ・シムズ米プリンストン大教授が8月のジャクソンホール会議で発表した
  論文を紹介され、目からウロコが落ちた。金利がゼロに近くては量的緩和
  は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシー
  トを損ねる。今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ。もちろん、ただ歳
  出を増やすのではなく何に使うかは考えないといけない」
  ― すでに経済規模に対する日本の政府債務残高は主要国で最悪です。
  「政府の負債である公債と中央銀行の負債である貨幣は国全体のバランス
  シートで考えれば民間部門の資産でもある。借金は返さずに将来世代に繰
  り延べることもできる。リカードの考えでは公債は将来の増税として相殺
  されてしまうが、そこまで合理的な人はいない」
 2013年上期の報告で浜田宏一著『アメリカは日本経済の復活を知っている』で評論したが、すこし再録しておく
 本の題名からしてあまり読書欲をそそるようなものではないが、安倍晋三新首相の2%のインフレ目標設定による「デフレ脱却」の理論的裏付けを提供しているということなので、一応読んでおこうということになった。正直、あまり期待はしなかったが、ここまでひどいとは思わなかった。雑誌の記事等ではタイトルと肩書を著者名と一緒に載せるが、普通の書籍では肩書き等は奥付の著者略歴に記載する。いきなりイェール大学名誉教授ときたので違和感を覚えたが、1ページ目で早くも謎が解けた。
   ある人々は 私のことを「ノーベル経済学賞候補者の一人」などといっ
  てくれることもある。実力以上に持ち上げてくれるのはうれしいが、経済
  学が世のためになる「経世済民」の学問だと考えると、とてもそんな資格
  などないように思える。
 冒頭からしてこうなのだから、呆れてしまうのだが、氏の一番の問題点は論理を語るのではなく誰々がこう言っているという話で終わっているということである。
 今回もクリストファー・シムズ米プリンストン大教授がこう言っているからということですが、日本ではケインズ派の学者を中心に何度もリフレ派に徹底的な批判をしてきているが、それに対する反論は一切されていない。間違っていたというのを認めたということを評価するべきかどうかであるが、これは伏線があるので後述する。

ケインズ派の敗退と新古典派の擡頭
 筆者の若い頃は近代経済学とマルクス経済学という区分であったが、現在はミクロ経済学、マクロ経済学、マルクス経済学という区分で、ミクロ経済学の信奉者が主流派経済学とされている。ただし、1960年代まではミクロ経済学は新古典派、マクロ経済学はケインズ派という棲み分けであったが、1970年代のルーカス批判以降はミクロ経済学的に基礎付されたマクロ経済学でないと通用しないような雰囲気になっている。
   企業や家計が合理的に期待を形成するような環境下では、金融政策や財
  政政策のマクロ経済政策は、当初意図した政策効果を得られないばかりか、
  弊害を生じさせる可能さえある。
   このようにマクロ経済政策の効果がミクロ経済のさまざまな要因を反映
  して形成される期待に大きく左右されるという側面は、ノーベル経済学賞
  受賞者のR.E.ルーカス,Jr.によって最初に指摘された。こうした問題は
  ルーカス批判ともよばれている。(『マクロ経済学』齋藤 誠 p216)
 これに似た議論としては古くは先ほどの浜田宏一が言及したリカードの等価命題(中立命題)というのがある。
   将来の増税によって、財政赤字が償還されるときには、財政赤字の発
  生とは逆に、短期的影響として所得の縮小が起きるだろう。だとしたば
  あい、財政赤字で資金調達された政策の拡張効果だけを見るのでは不十
  分だといえる。家計も将来の財政赤字の償還のことを考えるかもしれな
  い。公債発行によって減税が実施されたとしても、民間部門は将来の増
  税によって公債が償還されることで可処分所得がけっして増加しないこ
  とに気がつくかもしれない。すると、実質的には所得の改善がないわけ
  だから、消費を増加させる理由はない。したがって減税政策は消費も所
  得も変化させず、実体経済に影響を与えなくなる。このような考え方は、
  リカードの等価命題(中立命題)と呼ばれる。(齋藤 前掲書 p384)
 浜田も「そこまで合理的な人はいないだろう」と否定しているが、現在の主流派経済学は人間が「合理的」ならば、与えられた情報のもとで、常に「現実」を「正しく予想」しているはずという仮説(「合理的予想形成仮説」)を前提にしている。浜田先生、宗派のご本尊を否定していいのですか?
 次に、アメリカで主流派経済学にどっぷりつかってきたが、その後疑問に感じ批判に回った岩井克人氏の説を紹介する。
   まず指摘しなければならないのは、フリードマンの理論もルーカスとサ
  ージェントの理論も、徹底的な「均衡理論」であるということです。フリ
  ードマンの場合は暗黙的に、ルーカスやサージェントの場合は明示的に、
  市場は、労働市場も含めて、常時需給が一致する均衡状態であると想定し
  ています。したがって、彼らは、ケインズが問題にした総需要不足によ
  る「非自発的失業」は最初から排除しているのです。彼らのいう「失業」
  とは、例えば労働者が職探しに専念するために一時的に仕事をしないと
  いう、「自発的失業」にすぎません。それは、職探しのために投資する
  時間と言い換えてもよい。アメリカの失業率は、1930年代の大恐慌
  ではなんと25%、今回の経済危機においても10%まで上昇しました
  が、それもすべて「自発的」と見なしてしまうことになる。想像力の欠
  如か、あるいは過剰かのどちらかでしょう。… 資本主義経済は貨幣経
  済であり、貨幣とはセー法則が成立しないことを本質とする経済です。
  総需要と総供給は常に乖離する可能性があり、ひとたび両者が乖離する
  と、「合理的予想」は不可能になるのです。それゆえ、貨幣経済におい
  ては、合理的予想形成仮説を仮定することは、貨幣経済であることを否
  定するという、本質的矛盾を犯していることになります。(『経済学の宇
  宙』p105-106)
 「セー法則」とはフランスにおけるアダム・スミスの代弁者ジャン・バティスト・セー(1767-1832) が主張した生産物の総供給と総需要は恒等的に等しいという命題で「供給はみずからの需要を創り出す」という主張、平たく言えば作ったら売れるということですが岩井は物々交換の世界では成り立つが、ひとたび貨幣経済になると欲しい時に欲しい物を買うようになるので成り立たないと説く。お金は貯めておける。実際に、多くの人が貨幣を保有し続けたいと思えば経済全体でみれば総供給は総需要を上回るわけです。
 それから主流派経済学の問題点をもう一つ指摘しておきたい。ひと頃、文科省の人文社会科学系学部の軽視が問題になったが、経済学部はもちろん社会科学系なのであるが最近の傾向は専門分野に偏り歴史学、政治学、社会学との連携が希薄になっている。特に数学への偏重は異常である。理系のようにふるまう必要はない。何のために経済学をやるのかわからない学生が増えていると聞く。学生が悪いのではなくカリキュラムが悪いともいえる。経世済民を忘れてはいけない。かのトマ・ピケティも次のように嘆いている。
   率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純
  粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対する
  ガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学
  との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自
  分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題に没
  頭している。この数学への変質狂(ママ)ぶりは、科学っぽく見せるにはお手
  軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるか
  に複雑な問題には答えずにすませているのだ。(『21世紀の資本』p34-35)
 数学ということでもうひとつ面白い本を紹介しておく。『経済数学の直感的方法 マクロ経済学編』(長沼伸一郎)。講談社のブルーバックスで 6章構成になっていて初級編、中級編、上級編、経済学部で知っておくべき微分方程式の基本思想、固有値の意味、位相・関数解析という内容であるが、2章の中級編までなら別に数学が得意でなくても読めるので興味のある方は挑戦してください。以下抜粋です。
 長沼によると、新古典派の数学はニュートンの天体力学を応用したものだとのことである。例えば太陽と惑星との関係で惑星が太陽に近づくとだんだん速度が増して太陽の脇を通過する際の遠心力も強くなる。逆に太陽から遠ざかりすぎた場合には公転スピードが遅くなって遠心力も弱まり、それによって惑星は再び太陽のほうに戻っていく。経済世界の需要と供給のバランスも行ったり来たりしながらバランスをとるというわけである。
 そして、ニュートンの天体力学は、太陽系の全ての惑星が個々に太陽との間で、このようなメカニズムで安定した軌道を作るということである。この考え方を経済に応用すれば物の価格だけでなく労働条件や金利などでも同じことが成り立つということになる。市場の均衡メカニズム(神の手)が働くので政府が介入しない方がよいということになる。
 しかし、ニュートンの時代にも言われていたことなのであるが、太陽と地球、地球と月と2個の天体の間の計算なら何万年後まで正確にその位置を計算できるが、3個の天体を同時に扱うともう問題が解けなくなり大まかな値しか求めることができなかったということである。その当時から「三体問題」として知られていたということである。但し、太陽系の場合は太陽がずば抜けて大きいので太陽と地球、太陽と木星というように分けて計算して合成した値と観測結果に対して誤差がでなかったという。
 実は、この誤差をどう見るかで新古典派とケインズ派が分かれるポイントになったということである。ワルラス(新古典派の創始者の一人)などの均衡万能の経済学者は一旦問題をバラバラに分けて、その各個のミクロ的均衡を別々に求め、最後に合成してもさほどの誤差は発生せずにマクロな社会全体を表現できると考えたのである。それに対してケインズはその誤差は無視できず経済学の場合には一個一個のミクロ的均衡の話が正しかったとしても、それらをつなげていく際の誤差は巨大な規模で表面化していくため、この体系をそのまま適用することは到底不可能としてミクロ原理とのつながりなどを考えずに、最初から現実の経済政策にマクロ的レベルで直接使える経済学を大づかみな形で作り上げようとした。なお、ケインズが理系や数学が不得手だからではなく、むしろ彼の方が遥かに数学に熟知して問題の本質を見抜いていたとのことである。
 実際、古典派経済学を大恐慌の中で使ってみるとデフレをさらにひどくするだけで全く役に立たないことが暴露されたのである。長沼によるとミクロ経済学は政策レベルでの応用は無理としても身近な企業レベルで効率を最大化する問題などには十分使えるということである。花山がもう一つ付け加えるから、頭の体操としてやってください。

新古典派という名称
 そもそも『国富論』(正式名はAn Inquiry intoThe Nature Causes of The Wealth of Nations 最新訳の山岡洋一訳・日本経済新聞出版社版では『国の豊かさの本質と原因についての研究』と訳している)を現したアダム・スミスは見えざる手ということで取り上げられるが、商品の価値の源泉を労働に求めたことに偉大さがある。それをリカードが引継ぎ、マルクスが理論の精緻化を進めたのである。新古典派と呼ばれている連中は労働価値説を否定したのであるから、本来は反古典派という名称が正しく、マルクスこそが進古典派といえる。『国富論』は「どの国でも、その国民が年間に行う労働こそが、生活の必需品として、生活を豊かにする利便品として、国民が年間に消費するすべてを生み出す源泉である。」(序論と本書の構成)ではじまる。第1章は「労働の生産性が飛躍的に向上してきたのは分業の結果だし、各分野の労働で使われる技能や技術もかなりの部分、分業の結果えられたものだとおもえる。」と豊かな国では分業が進んでいることを明らかにする。「農業ではこのように、それぞれの作業を完全に分離するわけにいかない点が原因になって、労働の生産性が製造業と同じ程度に向上するとはかぎらなくなっている。… 農業では、豊かな国が貧しい国に比べて、労働の生産性がはるかに高いといえない。」(上巻 p9)

需給均衡とはどういう状態なのか
 ミクロ経済学でいう需要と供給が一致した場合、実はマクロ的には一致するが、ミクロ的には一致しない。一体どういうことか。先ほどの岩井氏が蚊柱を見て思いついたということなのですが、蚊柱は遠くから見ると雲のように見えて突然動いたりするが形はそんなに崩れない。いわば「均衡」を保っている。しかし、近づいてみると蚊一匹一匹は上下左右に飛びまわっていて、まさに「不均衡」な状態である。これを労働市場に置き換えてみると「一つ一つの企業は一匹一匹の蚊に当たります。労働市場は、経済状態の動向や市場環境の変化によって絶えず不均衡状態に投げ出されている無数の企業によって構成されます。経済全体が不況であっても、ある企業は求人の欠員に悩んでいますし、好況であっても求職者に一部を失業させている企業もあります。ある企業が欠員をすべて補充できても、別の企業が求人難に陥るかもしれませんし、ある企業が求職者をすべて受け入れても、別の企業が求職者の一部を断り始めているかもしれません。… 好況とは、すべての企業が
同時に労働の超過需要(非自発的欠員)に困っている状態ではなく、超過需要にある企業の方が超過供給にある企業より相対的に多い状態です。」(前掲書 p144)不況の時は逆になる。またマクロ的に均衡している状態とは不足している企業と過剰な企業がバランスしているだけでミクロ的にみるとバランスが取れている状態ではない。マクロ的に均衡することはあってもミクロ的に均衡することはあり得ないということである。だから労働市場が均衡すれば非自発的失業がなくなるという新古典派の論理は成り立たないのである。

主流派経済学が主流になりえたわけ
 新古典派は労働価値説を放棄したことによりマルクス経済学と対抗する学問体系になったということが資本主義社会の支配体制に都合がよかったということが大であったといえる。川上則道は『マルクスに立ちミクロ経済学を知る』のなかで、アメリカの経済学者であるP・Aサムエルソンが1955年頃から一定の期間「新古典派総合」という立場をとったことの影響が大きいと指摘しています。新古典派総合とは理論的というよりむしろ政策面での志向であって、財政金融政策の運用によって完全雇用が保証すれば、それ以後は自由な市場価格の調整機能を通じて最適な資源配分が実現できるということ。当時は国営企業、政府開発事業等が華やかな時代であり、混合経済というのがよく聞かれた。その後70年代のスタグフレーション(生産の停滞や失業率の上昇にもかかわらず物価の上昇が続く)を経てケインズ派の分が悪くなるにつれて新古典派が力をつけてきた。
 しかし、いったん勢力を確立するとポストを引き継ぎ学校教育でも教えられ公務員試験の学科にも採用されると経済学部の学生はそれを履修するしかない。
 川上はさらに、「経済学は真偽の決着がつきにくい学問です。数学であれば論理のみによって真偽の決着は尽きます。自然科学であれば、自然の現実と妥当するかどうかを、人為的に単純な条件を作り出し検証する方法(実験など)によって決着をつけることができます。経済学の場合は、妥当するかどうかの対象が経済社会ですから、真偽の決着に時間がかかる」ことを指摘する。(前掲書 p183-184)

(2) 貨幣の供給
銀行の貸し出しのメカニズムの説明
 日銀の金融緩和について反対する人でもお金をばらまいているというようなことをいう方もいるので、金融機関の貸し出しを例にとってお金の流れを簡単に説明しておく。
 例えばA社(製造業)が設備投資の資金として1億円をB銀行から借りるとするとA社の
通帳に 100,000,000と入金欄(お預かり金額)に記載されるだけであって、お札が動くわけではない。当然 預金者のお金がこの企業に行くわけではない。後日、工場を建てたC社 (建設業)に5千万円から振込手数料を引いた分が払い込まれる。同じく機械を納めたD社(機械メーカー)にも同じように振り込まれる。振込手数料は他行あて・自行あて、金額によっても違う。また窓口でするのかATMでするのかによっても違うが864×2~216×2の間である。本支店が違っても同じ銀行なら全くお札は動かない。A社の通帳の①お支払金額の欄に99,999,568摘要欄に振込 ②お支払金額の欄に432摘要欄に振込手数料と記載される。C、D社の通帳にはお支払金額の欄にカ)Aお預かり金額の欄に59,999,784 摘要の欄に振込と記載される。なお カ)とは株式会社の略である。振込手数料には消費税の8%が含まれているのでこの分だけは確実に外部に出ていく。銀行が違っていた場合は日銀の当座預金で決済するので、ここでもすぐにお札が動くわけでもない。C、D社も取引先に振り込む場合が多い、手形で支払する場合もお札は動かない。給料を引き出すときに
なってやっとお札が動く。自動引き落しやクレジットカードで支払いをしているとお札の活躍の場が減ってくる。つまり、現在の日本では現金をあまり持ち歩かなくても支払は済ませられる。コインパーキングでもクレジットカードで可のところもある。絶対現金でないとダメなものとしては 忘年会の会費(割り勘)、お年玉、ギャンブル等があげられる。

預貸率
 銀行の運用力を示す指標として預貸率というのがある。以下、日本経済新聞2016/3/18の解説
   金融機関の預金残高に占める貸出金残高の比率。1兆円の預金に対して7
  000億円の貸出金があれば預貸率は70%となる。集めた預金をどれだけ貸
  し出しに回しているかをみる指標で、銀行の資金運用能力を示す代表的な数
  値といえる。預貸率が100%を下回っている場合、資金に余裕があること
  を示し、収益を上げるための資金運用が求められる。(下線 引用者)
   東京商工リサーチの集計によると、国内銀行114行の2015年4~9月
  期の単独決算ベースの預貸率は平均で約68%だった。業態別にみると地
  方銀行64行が約71%、第二地方銀行41行が約73%、大手銀行9行
  が約65%となっている。大手銀以外は前年同期と比べて若干上昇してい
  る。ただ預金と貸出金の差である預貸ギャップは拡大しており、15年9月
  期は約236兆円に達している。
   いずれの業態でも預貸率は70%前後にとどまる。余っている預金をそ
  のままにしておけば利息だけを支払うことになるので、銀行は国債や株式
  など有価証券でも資金を運用するのが一般的だ。預金残高に対する有価証
  券残高の比率を預証率と呼ぶ。年によって変動はあるが、平均すると30
  %前後で推移している。
 経済専門誌がこんなことを書くから困る。下線部のような書き方をしたら100%までなら貸しても大丈夫なようにうけとられる。花山が縷々説明してきたように、預金残高を超えて貸出しても何ら問題はない。
 日本においては、1990年代のバブル崩壊によって、企業の経営破綻が相次ぐなど不良債権問題が長く深刻化したため、銀行は貸し渋りや債権回収に走り、2003年に預貸率はついに100%を割り込むことになったが、本来金融機関というのは信用創造機能というのが重要なのである。預貸率の低下が貸し手側にあるのか借り手側にあるのかそこが問題なのである。
   現在においては、銀行は、元手となる預金の量的な制約を受けることな
  く、潜在的には無限の貸し出しを行うことができる。制約があるとすれば、
  貸し手側の資金力にではなく、借り手側の返済能力にある。銀行は、借り
  手側に返済能力があると判断する限り、いくらでも貸し出しに応じること
  ができるのである。
   それゆえ、企業は、銀行から大規模かつ長期の資金を調達することがで
  き、巨額の設備投資を要するような大事業を行うことが可能となる。現代
  のような複雑かつ大規模な資本主義経済が可能になったのは、その中心に、
  銀行による信用創造があるからなのである。逆に言えば、もし、預金を元
  手に融資を行うという通俗的な銀行観が正しかったならば、事業は極めて
  厳しい資金制約を受けることとなり、今日のような成長する資本主義経済
  というものは、到底成り立ち得なかったであろう。… 要するに、企業など
  の資金需要の増大が銀行の貸出・預金を増やし、そしてベースマネーを増
  やすのであって、ベースマネーの増加が銀行の貸出しを増やすのではな
  い。(『富国と強兵 地政経済学序説』中野剛志p68-70)

(3) アベノミクスの軌道修正
超金融緩和+超財政政策への転換
 浜田宏一のところでも少し言及したが、安倍政権は少しずつ軌道修正をしている。日銀内部、安倍政権内部でも金融緩和によるデフレ解消というのは無理があるというのはある程度認識が進んでいると考えられる。小泉政権のころ規制緩和が進んでいるのに景気が回復しないではないかという疑問に対してまだまだ規制緩和が足りないからだといってはぐらかしてきた。今回はマイナス金利まで踏み込んでいるのでこの手は通用しない。デフレの原因は賃金の減少だということがようやく分かってきたから企業に賃上げを要請しているが、問題は大企業の労働者の賃金上昇ではなくて中小零細企業の労働者の処遇改善こそが必要なのであるが、安倍政権の下ではもともと無理である。彼の周りにはまともな経済学者はいないというより耳障りなことをいう官僚等を排除しているからである。
 1980年代後半の金融緩和ではインフレは生じなかった(物価は上昇しなかった)が資産価格は高騰し、その後バブルがはじけて不況に突入した。今回は物価どころか資産価格も上昇していない。正確にいうと東京圏の賃貸市場では若干の上昇がみられるが地方にまでは波及していない。関西圏でも多少の上昇は見られたがもう峠は過ぎたといえる。これは2015年下期の報告でも紹介したように、相続税制の変更が多分に影響している。空き家問題が深刻になっており、人口減少が予測されているなかでこれ以上の騰貴はあり得ない。東京圏の調整は従来2020といわれているがおそらくもう少し早まるであろう。
 当初、黒田日銀は白川日銀の金融緩和が足りないからデフレが解消しないと考えていたのかもしれない。少なくとも円安効果により輸出が伸びて景気回復を期待していたかもしれない。実際には生産高は伸びないのに円表示では円安効果で利益が増大したトヨタ自動車の例を示して説明した(2014年上期報告)ように株だけが上がったのである。黒田はこの時こんなはずではなかったと思ったかどうかはわからないが、その頃は財政再建はしっかりやってもらいたいというような発言をしていた。金融緩和に懐疑的な諸氏はハイパーインフレを心配していたが、最近は日銀が買い入れる国債がなくなるという向きもあった。
 いくら金融緩和をしてもインフレにならない、バブルも発生しない。消費税を上げなくても長期金利も上昇しない。おまけに日銀が買い入れる国債が不足する。だとしたらどうしたら良いか、答えは簡単である。国債は不足しているなら発行額を増やしたらよい、国債の日銀の直接引き受けは財政法で禁止されているが、現状は日銀の直接引き受けと変わらないので民間の引き受け能力を考慮する必要はない。でも公共投資を増やすのは建設関係の技術者、職人の不足等があるのでこれをあまり増やすわけにはいかない。軍事費を増やすのが一番効果がある。ただし、あまり急激にやるとほんとにインフレになる。また、増税をせずに長期にするのも無理がある。首相に官僚が囁く「改憲を達成する(ここ2-3年ぐらい)までならだいじょうぶです」「ただし、このことは口が裂けても言ってはなりません」「後世、安倍内閣が後は野となれ山となれ内閣といわれるかもしれないが、私は改憲を成しとげた内閣として名を残したい」。
 花山は、安倍が改憲を成し遂げるまでは何が何でも経済を失速させないように決意していると推測している。新古典派から似非ケイジアンへの変身ということである。安倍の経済政策は改憲攻撃と一体となって推進されていることに注視しなければならない。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント