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現在世界とは

現在世界とは
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 現在世界は 資本主義の最高の発展段階である帝国主義であり それ故、共産主義社会に向かわざるをえない最後の資本主義社会です。実際、1917年ロシア革命によって資本主義・帝国主義の一角が打倒され 世界史的に共産主義に向かう過渡期がはじまりました。だが 革命後の、ソ連のスターリン主義への変質と共産主義への裏切りによって過渡期は押しとどめられ 1991年のソ連崩壊とともに、世界は再び資本主義が全体を覆う社会へと変貌しました。
 この帝国主義段階規定は レーニンが『帝国主議論』で明らかにしたものですが その導きの糸は マルクスの『資本論』Ⅰ巻24章7節の結語(論理的推論)です。
  「こうした収奪は、資本制的生産そのものの内在的諸法則の作用によって、諸資本の  集中によって、なしとげられる。一人ずつの資本家が、多くの資本家をうちほろぼす。  こうした集中、または、少数の資本家による多数の資本家の収奪とあいならんで、ま  すます増大する規模での労働過程の協業的形態が、科学の意識的な技術的応用が、土  地の計画的な利用が、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化が、結  合された・社会的な・労働の生産手段としての使用によるすべての生産手段の節約   が、世界市場の網へのすべての国民の編入が、したがってまた、資本制的体制の国際  的性格が、発展する。この転化過程のあらゆる利益を横奪し独占する大資本家の数の  たえざる減少につれて、貧困・抑圧・隷属・頽廃・搾取の程度が増大するが、…労働  者階級の叛逆も増大する。資本独占は、それとともに―またそれのもとで―開花した  生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化は、それらの資本制的外被と  調和しえなくなる時点に到達する。この外被は粉砕される。資本制的私有財産の葬鐘 がなる。収奪者たちが収奪される。」
 「大資本家の数のたえざる減少」は 論理的には最後は1になるということですが 資本が1になった状態は 資本間の生産性の高度化をめぐる競争がなくなり、資本主義ではないので 1に向かう過程で革命が起こるとマルクスは提起しているのです。この点は先月号で少し触れました。産業資本主義段階と帝国主義段階の論理的区別は自由競争か独占かですが 独占と言っても自由競争の上に立つ独占です。

 第二次世界大戦(帝間戦争)によってアメリカをのぞき壊滅した世界経済が 戦後の復興過程をへて帝国主義として復活した途端に 74、5年過剰生産による恐慌を爆発させました。その直前まで運動は世界的に高揚していたのに 74、5年恐慌は大恐慌としては爆発せず、革命は起こらず その後資本主義は生き延びてきました。問題はその原因です。つまり革命情勢はなぜ遠のいたのかです。
 客体的には2点あると思います。石油価格のOPECによる人為的高騰で価値革命が引き起こされたことと 71年のニクソンによるドルの金兌換停止で通貨発行の制限がとり払われたことです。その結果 資本の基軸が産業資本(生産と流通)から貨幣資本に転換しました。主の原因は後者です。
 前者についていえば 本来景気循環は 好景気→過剰生産(バブル)→金融逼迫(金融危機・金融崩壊)→全産業の崩壊・恐慌→停滞→復興と進むのですが、恐慌→停滞→復興の過程で価値革命が生じます。基本エネルギーである石油価格の人為的高騰は 金融危機→恐慌の過程を飛び越えて先に価値革命が引き起こされたということです。その結果 本来の恐慌による過剰生産の破壊は部分的となり、その後の長期にわたる不況に転化しました。当時スタグフレーション(不況下のインフレーション)と言われました。価値革命とは より高度な生産方法を採用することで労働時間あたりの生産量が増大し 個々の生産物の価値が減少することをさします。当然既存の生産物も価値下落が生じる(一物一価)ので 既存の生産物(生産設備や原材料)を使った生産では剰余価値量が増えることになります。この価値革命は 本来的には貨幣は価値で規定されているので物価下落・デフレと現象しますが ドルの金兌換停止後は規定されないために 通貨の価値が減少し過剰生産であるのに(だから不況)物価上昇・インフレが生じたのです。
 後者についていえば 過剰生産によって生産の継続が不可能化した時、追加貨幣があれば生産の継続が可能になるということです。この論理は マルクスがすでに『資本論』で論理的にはⅡ巻21章で、実例的にはⅢ巻34章で明らかにしています。
 Ⅱ巻21章3節3は 「だから、Ⅰ(V+M)とⅡCとの交換ではさまざまな場合が生ずる。」で始まっています。「だから」でこれから述べることはこれまで検討してきたことのまとめ・結論であることを そしてその論点は「Ⅰ(V+M)とⅡCとの交換」のための量の大小比較であることを明らかにしています。Ⅰは生産財の生産(物) Ⅱは消費財の生産(物)をさします。
 Ⅰ(V+M)とⅡCとの量的比較は3つの場合 >、=、< があります。Ⅰ(V+M)>ⅡCの場合は 生産財に余りが出るので拡大再生産が可能であり、資本主義の正常な発展状態です。=の場合は 同規模の生産が繰り返されるということであり、恒に生産拡大を求める資本主義では偶然をのぞきありえない話です。<の場合は 消費財に余り・売れ残りが出ます。過剰生産です。3つの場合の検討の後 マルクスは
  「以前の一連の生産期間中に行われた蓄積過程の進行の結果として、ⅡCがⅠ(V+   M)にくらべて、大きいばあいさえ生じうるであろう。これはⅡにおける過剰生産で  あって、一大破局―その結果として資本がⅡからⅠに移る―によってのみ決済されう  るであろう。」
とまとめ 資本主義は必ず過剰生産恐慌が生じることを明らかにしています。「資本がⅡからⅠに移る」と書いているので 資本主義は恐慌を繰り返しながら発展することを明らかにしたと言えますが 同時に、資本がⅡからⅠに移れなければ大恐慌・一大破局が引き起こされることも 明らかです。
 Ⅰ(V+M)<ⅡCの場合の検討で 「Ⅱは、転態によっては自分の不変資本を完全には再生産せず、不足分をⅠから買って填補せねばならない。」と述べています。つまり過剰生産でⅠ・Ⅱ交換ではⅡの生産財が不足し、Ⅱの生産が停止せざるをえない状態になっても Ⅱが追加貨幣を持っていれば不足分をⅠから買って再生産が可能になるという訳です。つまり 恐慌に陥りかけても追加貨幣を投入すれば 恐慌はそれとしては爆発しないという訳です。過剰貨幣資本の存在が 価値法則の制限を超えて生産拡大に向かわせるのです。そして その反動として恐慌が生じるのです。
 実際 74、5年恐慌以降 各国は経済(金融)危機が爆発するたびに 公的資金を投入して危機が恐慌に転化するのを防いできたのです。しかも 通貨に金の裏付けが必要なくなったので 政府は国債を増発していくらでも通貨を創ってきました。だが 国債によって創り出された通貨は 政府によって流通手段として使われた後も市場に残るので 貨幣資本に転化します。現在の膨大な貸付貨幣資本は こうやって創り出されたのです。

 主体的原因は 後者が解らなかったために(これまで『資本論』Ⅱ巻21章の結論を明らかにした人はいません) 資本主義はどこまでも発展するのだと思い、資本主義には必ず終わりがあるのだというマルクス主義への確信を失ったということだと思います。当然後者が解らないから、資本主義の現在動向を説明できないという事態に陥った訳です。マルクス経済学者の少なくない人が 近代経済学に宗旨替えをしています。先月号の的場氏風に言えば 体制変革を忘れ、個々の要求を掲げる総和の運動に変質したということです。これでは革命など到底無理というものです。
 貨幣資本は 産業資本とは異なり、自ら新しい価値を創りだしません。貨幣資本は お金を産業資本に貸し付け、産業資本が創りだした新価値を利子や配当という名目で纂奪することで 自らを増大させる資本です。もちろんここで産業資本…としているのは理論的な展開だからであって 現実的にはサラリーマンローンの様に労賃(生活費)から纂奪することもいといません。膨大化した貨幣資本が纂奪する利子も膨大化するので 労賃は減少し労働条件は悪化し(非正規職の膨大化など)、格差社会が創り出されてきたのです。国債発行で創られた通貨は経済的裏付けのない無から創り出されたものであり 生まれそのものが架空の貨幣資本です。なお 株式などの擬制資本と呼ばれる架空資本は 実体経済の上で観念される(発生する)架空資本です。当然実体経済の動向によって膨張したり縮小したりしますが 実体経済そのものは 架空の貨幣資本の膨張・縮小で直接変化することはありません。
 利子や配当が払われなくなったとき 貨幣資本は無に、つまりただの紙切れになってしまいます。だから 金融危機が発生したとき公的資金の投入で救済しなければ 生産活動および人間生活にとってまったく不要であるだけでなく、現在の格差に象徴される非人間的社会をつくりだしている根本原因である架空の貨幣資本は消滅するのです。5月号で紹介しましたが アイスランドの民衆は リーマンショックの後、資本救済のために公的資金を投入することを拒否しました。私たちはこの例を学ばねばならないと思います。
 架空の貨幣資本をなくしたからといって即革命にはなりませんが 多くの先進国で架空の貨幣資本をなくそうとすれば 資本は座して破滅を待つのではなく、自分だけは生き延びようとあがき 例えば架空の貨幣資本を価値が実存する生産物に替えようとすれば ハイパーインフレが生じます。当然民衆の怒りは増大し 革命前情勢が引き起こされることになります。かつての米騒動で 資本か民衆かの選択が問われます。
 2010年ギリシャで国債の返済ができなくなり経済危機が爆発しました。ギリシャの国債発行残高は対GDP比1.5倍でした。日本の国債発行残高は世界で断突1位の対GDP比2倍です。ギリシャでは破産が生じ日本で起こらなかった理由は 日本は通貨発行権を持っていますが ギリシャはユーロを採用しているので、通貨発行権を持っていなかったからです。当時 ギリシャがユーロから離脱するのではと騒がれました。では 通貨発行権を持っていたら 借替債の発行で危機は爆発せず、経済発展が継続できるかというと そうではないのです。いくら借替債で返済=借金総額は先送りできても 利子が払われなければ架空の貨幣資本は死滅するしかありません。国債の利払いは税金からしなければなりません。国債の利払いが国の税収を上回ったとき 破滅が訪れます。
 いま日本では 都市銀行を迂回してはいますが、日銀引受が行われていて(異次元の金融緩和、厳密には法律違反)確かに利子率は0%に近いです。水野和夫氏は利子率が0%になっていることをもって、資本はもはや利子を生まなくなったのだから資本主義は終わりを迎えたと説明していますが、それはともかく 税収はGDPの10%程なので 計算上は利子率が5%を超えたら当然日本国の倒産・破産に行き着きます。現実的にはおそらく2、3%になれば危機は爆発すると思います。日銀買取り・引受が中断すれば、金融機関の買取りも減少し 国債価格は下がり、利子率は高騰します。また2%アップの物価目標と言っていますが インフレーションが起これば利子率はインフレにつられて高騰します。さらに いま経済はグローバル化し、日本国債を買っているのは日本の金融機関だけではありません。外国の資本も買っています。外国資本(ヘッジファンド)が手持ちの日本国債の売りをあびせた時 一気に国債価格は下落し、利子率は高騰します(98年アジア通貨危機の要因)。利子率が2、3%をこえると日本国・政府は破産に陥ります。
 架空貨幣資本を国債を無視して擬制資本だけで云々することは 危機がどこで発生するのかを見ないものであり 資本主義の美化論(永遠に発展する論)以外の何ものでもありません。74、5年以降 資本の危機を国・政府が肩代りすることで資本主義は生き延びてきたと言えますが いまや国・政府自身が財政的に破産する危機に直面しているのです。リーマンショック対策の結果いま先進国の多くがその崖っ端に立たされています。
 革命を唱える人たちには 民衆が国・政府にNOを突きつける時が目前に迫っていることを自覚し 未来社会のあり方を示さねばならない時がきていると思います。私は それは民衆自身が生産と社会の主人公になる生産協同組合化だと思っています。できるところから着手し、共産主義の見本を示す時にきていると思います。
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