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『展望』20号を読んで

『展望』20号を読んで
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 革共同再建協の機関誌『展望』20号が9月下旬に発行されました。巻頭アピールと論文5つ、沖縄現地報告からなっています。論文、落合薫「ロシア革命再論・再再論」、須磨明「キューバ革命から何を学ぶのか」、三船二郎「新たな侵略戦争の時代をどう闘うか」は 新たな視点、これまで正しいとしてきた自ら(中核派)の理論を検証・反省する視点が提起されており 熟読に値すると思います。中核派の運動にかつて一度でも関わった人にはぜひ読んでもらいたいと思います。そういう訳で 内容を事細かに紹介するのはさし控え 私が疑問に思った点を軸に意見を述べたいと思います。

 落合薫「ロシア革命再論・再再論」は 第1章:はじめに-視点と方法 第2章:戦争と革命 第3章:労働者・農民・被抑圧民族人民 第4章:軍事問題論争-党・軍・ソヴェト権力 第5章:文献解題 からなっています。
 第1章で「従来のように、レーニンやトロツキーの理論と行動を通してではなく、それをも含むロシアと世界の労働者・農民・被抑圧民族人民が成し遂げた革命としてロシア革命を捉える必要がある。」とロシア革命を再考する視点を述べています。革命は階級(民衆)自身の事業であるという基本から言って正しいと思います。
 だが 第1章で「第1次世界大戦が始まったとき、…最初に抗議の声をあげたのはペトログラードのボリシェヴィキの労働者細胞であった。…レーニン自身が茫然自失に陥っていたとき、彼らは…ビラを即日に撒き、反戦ストに決起した。レーニン[が]…打ち出すのは3カ月も後であった。」と対比的に書いていますが 私は対比ではなく平行する話だと思います。レーニンが茫然自失に陥ったのであれば それはこれまで手本だと見てきたドイツ社会民主党をはじめとする第二インターが戦争賛成に転向・裏切ったゆえに、それを正す事業のあまりの大きさからであって(なによりも第二インターを正しいと思ってきた自らの思想・理論の検討から始めなければならない) 戦争に賛成するか反対するかで動揺した訳ではありません。だから その後『国家と革命』や『帝国主議論』を書くことができたのだと思います。他方、ペトログラードのボリシェヴィキの労働者細胞が即日決起できたのは それまで主張してきた帝国主義の戦争に反対だという党の考えに皆が賛成・納得していたからだと思います。それ抜きに労働者細胞が自然発生的に思いついたものだとは思われません。(つまりこの指摘は少し逆ブレを起こしているように感じました。)
 論文では これまでの理解の誤りを正すために 事実問題の解明に重点が置かれています。自らの誤りを自覚し訂正できるためには 本当の事実はこうだったと明らかにすることは絶対必要ですが 同時に依拠すべき理論的裏付けも必要なのではと思います。
 例えば 第3章で「『ロシア革命=後進国革命』、『農民や兵士のブルジョア民主主義革命』という見解に反し、ロシア革命はやはり『プロレタリア革命』というべきである。その理由は、当時のロシアの労働者階級のあまり認識されていない先進性にある。」と述べて 大企業の労働者が労働者人口に占める比率や労働者総数が総人口に占める比率などを列挙しています。前者は 日本もそうだと思いますが 後発の資本主義国は初めは外国資本の企業や国営会社として成立していくので、大企業の労働者の比率が高いのは当然であり 後者(労働者の人口比…)は 大革命時のフランス(1789年)との比較であり、 100年以上も時代が隔たっており比較できないのではと思います。
 ロシア革命を単なる権力の打倒ではなくプロレタリア革命だと規定できるのは それまでの資本制的生産関係(資本による私的所有)を否定・破棄したからだと思います。資本主義・資本を打倒できるのは 資本に自らの労働力を売らねばならない労働者しかいません。農民が地主を追放するのと同じです。労働者以外の民衆は 国家権力を打倒することはできても、資本制的生産関係を破棄することはできないからです。だから プロレタリア革命だと言える根拠は ソビェトにあるのではなく 筆者が描写している工場委員会(生産協同組合)にあるのです。
 また「『労働者統制』と『労働者管理』は意味が異なる。前者は経営管理に労働者が参加することを意味し、後者は経営管理に労働者が責任を負うことを意味する。」と 革命後のレーニンの労働者統制論を批判していますが 統制と管理という語意の解釈・説明では違いが分かりにくいのではと思います。そこで働く労働者が 誰かがやるのを監視するだけに甘んじるのではなく 自作農のように、自ら生産の管理運営と企業の経営を行っているかという問題だと思います。
 細かい批判はともかく 工場委員会(生産協同組合)に焦点をすえて展開していることは 実に重要で画期的なことだと思います。生産協同組合という視点の欠落(労働組合のみの強調)は これまでの中核派の根本的誤りの1つだったと思います。おそらく 生産協同組合を展開することが 失った共産主義への希望を取り戻す道だと思います。
 農業・農民問題では レーニンが農民を敵に回さざるをえなかったのは「基底には農民不信」があったからであり 「レーニンのミール観は、ブルジョア的関係が共同体内で形成し終え、ミールは今や農奴制の残存物として『半農奴的共同体』であり、…」と批判しています。そしてその根拠は 生産力主義だったと指摘しています。
 レーニンらの農業・農民政策の誤りを明らかにすることは重要ですが それだけでは食糧徴発政策にかわる共産主義に向かうあり方は提起できないと思います。新しい価値は新たに投下された労働によってのみ創られます。だから新社会の運営費は 新たに創られた価値の何%を「税金」とすると決める以外にないのです(労働者も同じ)。それを計算することが無理なときは 農業では生産高の何割と決めるしかありません。生産量(生産性)が増えれば「税金」だけでなく農民自身も豊になっていくことを明確にあるいは実感できるようにすべきなのです。そしてその率は 社会全体の労働=生産者と働けない人との比率で決まります。働けない人の扶養を家族から社会に移すということです。その後、集団化した農場の方が生産性・生産力が大きいこと(労働時間の短縮)を実地に示すことで 個人・自作農を納得の上で集団化していくことが可能になるのだと思います。
 農業における生産性は 土地の豊穣度や天候にも規定されますが、農民の働く意欲が決定的です。農民がどういう状態になれば自ら積極的に働くようになるのかを考慮しない「生産力主義」は 生産力主義でさえないと思います。レーニンの根本的誤りは 労働者に対してもそうですが、主体つまり働いている人から問題を立てていない点です。この点は現在の「革命党」にも当てはまると思います。
 民族問題や軍隊・武装の問題(赤軍か民兵か)でも これまでの理解の誤りを正す視点が論述されているので ぜひ皆様に読んで欲しいと思います。

 須磨明「キューバ革命から何を学ぶのか」は キューバ革命史がダイジェスト的に展開されていて キューバ革命をそれとしては見てこなかった私にとっては勉強になりました。筆者は まとめ的に「何を学ぶのか」を9点示し、3つの教訓をあげています。教訓
は「ひとつは、『7.26運動』が革命軍を組織し、バチスタ独裁を打倒し、さらに革命を守りぬくために、決して武装を解除しなかったことである。もうひとつは、キューバ労働者人民によるゼネスト決起(蜂起)が組織され、人民自身の力(暴力)が反革命の芽を摘み、革命を守りきったことである。3番目の教訓としては、キューバ革命後のプロレタリア独裁(プロレタリア民主主義)の苦闘(後退)は世界革命の未達成に責任があり、日本の労働者人民にも無関係ではないということである。」です。
 筆者も触れてはいますが 強調が弱いのではと思った点を2点述べます。
 ひとつは 国有化・国営化と共産主義化とはまったく別物、あるいは別次元の話だということです。確かに筆者が述べるように 外国資本の支配から逃れるためには(外国企業の)国有化しかありませんが だが、国有化された企業の経営・運営権は公務員が握っていて 依然としてそこで働く労働者にはありません。そのことが 国営企業で働く労働者の労働意欲を減退させ、生産の停滞を引き起こしたのです。ソ連にしろ中国にしろ、キューバでも国有化=共産主義化としてきた誤りにまったく気づかずに 経済の停滞を打破するために部分的に資本主義的あり方を取り入れてきた歴史だと思います(ネップや市場経済論など)。
 もうひとつは 89年~91年のソ連・東欧の崩壊によって キューバ経済は直接的なダメージをうけ、国内総生産GDPは35%も下落したが 92年の憲法改正を含む改革で「社会主義2/3+資本主義1/3」路線をとり 生産の復活には成功したが、逆に一度は一掃された資本主義的腐敗(ニューリッチ層・失業者・格差=貧富の差など)が広がっているということです。
 3番目の教訓の裏面ですが 一国のみで革命が成功したとき 生産の急激な拡大は先進国の革命を待つ以外になく だからとるべき道は 自給自足的ゆるやかな発展しかありません。それは働く人々の労働意欲に徹底して依拠することであり、生産協同組合化を押し進めていくことだと思います。だから 孤立した革命政権がとるべき道は 「貧困の平等化」をはかりつつ、徐々に生産力をアップさせながら先進国での革命を待つという以外にはありません。

 三船二郎「新たな侵略戦争の時代をどう闘うか」は 簡単に情勢の流れを示した後(広い意味での)70年闘争を軸に 私たちの闘いを総括しています。そして いまや中東や朝鮮への「新たな侵略戦争の時代」に入っているのだから 70年闘争のように帝国主義の侵略戦争に反対する闘いを創り出していかねばならないと述べています。
 情勢論的には 貸付貨幣資本(金融資本)が軸になった資本主義への転換の押え(カネ、カネ、カネの世の中になぜなったのか)が弱いように思われますが 党の路線をめぐる正誤の提起は それほど間違っているとは思われません。
 ただ 党が党内民主主義を忘れ上意下達になった原因を 党が軍事路線を長期にわたってとってきたことに求めていますが そしてこの見解は党内外に少なからずあるようですが 私は少し違うと思います。軍事路線が長期にわたったのが間違っていたのではなく軍事路線を掲げながら敵戦闘力の打倒を忘れ、軍事を持て遊んでいたことと それ故大衆闘争の武装的発展や大衆闘争との結合を追求してこなかったことに原因があると思います。その上で一番の問題は 共産主義の思想が薄れていったことだと思います。
 巨大な敵に対する弱者のゲリラ戦闘は ゲリラ戦を闘う「兵士」の意識性・決意性・献身性にその帰趨がかかっています。たった1ミリであったとしても敵戦闘力の打倒は 自らの死や長期投獄をかけた戦闘抜きにはできません。ゲリラ戦闘では 単に軍令だから命令だからと言って戦闘に着手する「兵士」はいないと思います。「指揮者」もまたメンバーが「やれます」と言えるか否かで判断をしていたと思います。もちろん 一旦戦闘に入れば指揮官の軍令はすべてですが。作戦の計画段階では 上下の区別なくみんなが自分ならやれるか否かで考えきり議論していたと思います。だから 軍令だから命令だからと言って方針が強行されるとしたら それは生死や長期投獄が問題にもならない「軍事方針」だということです。
 だから私は 84年の浅草橋戦闘は 三里塚決戦とは異なり 軍事を持て遊んだ「闘い」だったと思っています。浅草橋駅を燃やしたからといって敵戦闘力を1ミリも切り取ってはいないのです。イベントに過ぎなかったと言えます。また三里塚3.8分裂後第4インターへテロルを行いましたが(再建協はいまは誤りだったと反省しています) 同時に第4インターのメンバーの職場の回りに「打倒」ステッカーを張りめぐらしたと後日聞きました。これなど 彼らの一坪再共有化運動は闘いの武器としての本来の共有化運動とは異なり、1坪を幾らで売るという金儲け運動であって しかも何のためのカネ集めかも明らかにされていず正義性はまったくなく 問われていたのはその大衆的説得活動であったのに 「打倒」ステ張りなる「軍事方針」にずらしていたという問題です。まさしく軍事の持て遊びだったと思います。当時の公然=表の指導が 自ら最先頭に立って階級闘争・階級情勢を切り開いていくことを放棄し、軍の宣伝隊・支援隊になり(もちろんこの支援があったから裏は闘えたのですが) 細胞性を忘れ、軍令的な・上意下達の組織のあり方に変質させていったのだと思います。

 最後に 大伴一人「グラムシ研究ノート―現代革命とアントニオ・グラムシの革命論」は 前にも言いましたが、私はグラムシを勉強していないので内容にたち入って云々することはできませんが はじめにと終わりにで書かれている筆者の立ち位置については 少しおかしいのではと思います。個人崇拝は 自立した共産主義者になろうというわれわれのあり方とは無縁であり 対象にされた人は 死者に鞭打つことは心苦しいのですが 崇拝の対象にはほど遠いと思います。グラムシ自身の論評ができないので これ以上の展開は止めておきます。
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