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不破哲三著『「資本論」刊行150年に寄せて』

不破哲三著『「資本論」刊行150年に寄せて』
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 昨年は ロシア革命100年ということで 多くの人がロシア革命とその後のソ連社会について論評していました。同時に、昨年は 『資本論』第1巻発行150年でもありましたが こちらの論評はほとんど見かけませんでした。そんな中、本屋で 不破哲三著『「資本論」刊行150年に寄せて』(日本共産党中央委員会出版局発行 500円)を見かけたので 恐慌論と未来社会論でどう言っているかなと思い買いました。
 本書は 昨年8月「しんぶん赤旗」に連載されたのをまとめたものだそうです。構成は「現代に光るマルクスの資本主義批判」「資本主義は人類史の過渡的一段階」「マルクスの未来社会論」「革命家マルクスの決断」の4部構成です。私たちは共産党をスターリン主義だと批判してきたので 内容の紹介はしません。

 恐慌論について。恐慌は利潤率が下がり利子率が高騰するから生じるということは誰もが認めていますが 何故そうなるのかの説はこれまで2つありました。宇野派は好景気(過熱)になって労賃が上昇し、利潤が減少するからと説明し 正統派(共産党や協会派など)は発展と共に資本財の比重が大きくなり、利潤率が低下していくからと説明していました。共産党はその後 資本が利潤第一主義で生産拡大を追い求めるのに対し労働者の賃金は上がらないから消費が膨らまず、つまり生産と消費の矛盾と説明するようになっています。
不破は 本書では次のように述べています。
  「なぜ、恐慌が起こり、…多くの経済学者がこの問題に取り組みましたが、…恐慌の  秘密をはじめて解いたのが、マルクスでした。」「資本は、できるだけ大きな利潤を  獲得しようと、競争で生産拡大の道を進みますが、主要な消費者である労働者はでき  るだけ安い賃金で働かせたい。この矛盾が恐慌の根底にある、という解答です。」
  「マルクスを悩ました問題は、その先にありました。この矛盾が、どうして周期的に  恐慌が爆発するという形態をとるか、という問題です。」
  「生産と消費の矛盾と言っても、市場経済は、そのバランスが崩れたらすぐそれを直  す調節作用を持っているはずです。恐慌の場合には、その調節作用がなぜ働かないの  か。また、恐慌の周期性も問題でした。ある段階までは、生産と消費は並行して順調  に発展するのに、それが進行すると、突然、事態が悪化して、恐慌の破局に急転換す  る。」
  「草稿を書きはじめてからの最初の7年半は、利潤率の低下の法則の発動によって恐  慌の運動法則を説明しようという、誤った道に立っての苦闘でした。」
  「新展開の眼目は、商人資本の役割に注目したところにありました。それが、再生産  過程を、現実の需要から離れた『架空の軌道』に導き、生産と消費の矛盾を恐慌の爆  発まで深刻化させるという、資本主義独自の運動形態を生み出す。」
  「マルクスは、恐慌論のこうした到達点をのちに、『資本論』第2部[巻]第3篇の  後半部分でまとまった形で展開するという構想を立てていましたが、そこまで執筆す  る時間をもたないまま、…その生命を閉じました。」
  「マルクスは、第3部[巻]後半の草稿のなかに、新しい恐慌論の内容を、かなりま  とまった形で書き残してくれました。第4篇18章の文章です。」

 商人資本が架空の軌道に導くのはその通りですが それは市場経済の調節作用の範囲内の話であって 恐慌を爆発させるようなものではありません。世界経済は戦後70年頃までは復興・発展期でしたが 日本ではその間、3年程の好景気のあと1年程の不況がありまた好景気にを繰り返していました。恐慌が爆発するのは74、5年です。不況は 調節作用で、恐慌ではありません。生産された生産物は 商人である卸売商に売られ、ついで小売商に売られ、そして消費者に買われて消費されます。だから消費者がいまだ買っていなくても 卸売商は小売商にすべて売った時点で 新たに生産者から商品を仕入れるでしょう。最終的に消費されてはいないのに 生産者は卸売商に売れた時点で次の生産に着手します。だが 生産者から卸売商への販売が売れ残るようなことが生じると 生産者は 前期と同じだけの生産をするのではなく 売れ残った分を減らして今期は生産するでしょう。生産調整です。つまり それが市場経済の調節作用です。
 第3巻18章は「商人資本の回転。価格」です。生産資本は生産期間が必要で1回転するのに長時間を要しますが 商人資本は買って売る作業だけなので短時間です。産業資本(生産と流通=商業)は利潤率の均等化作用が生じるので どの資本にとっても年間の利潤率は同じ率です。例えば、年利潤率が20%とすれば 年2回転する生産資本は個々の商品を10%の利潤をつけて販売しますが 10回転する商業資本は2%の利潤をつけて販売すると説明しているところです。その導入として 架空性が生じることに触れているだけです。(なお 貨幣資本は産業資本とは異なり利潤率均等化には参加しません。貨幣資本が生み出すのは利潤ではなく利子です。)
 『資本論』で恐慌論が展開されている箇所は 第2巻21章で本質論的に(つまり価値 で見たとき)、第3巻15章で現実論的にです。どちらも問題にしているのは貨幣資本です。貨幣資本によって過剰生産が生じると展開しています。当然その反作用・反動として恐慌が爆発するのです。恐慌はいまでは リーマン・ショックのように必ず金融恐慌(貨幣恐慌)として発生します。
 不破は「第2部第3篇の後半部分[21章]で展開するという構想を」もっていたが書かれていないと述べていますが 真っ赤なウソです。確かに21章3節は『資本論』の他の章のように微に入り細に入った文章としては書かれていませんが 基本線は書かれています。死を目前にして「これだけは書いておかなければ」と最後の力を振り絞って書いた文章です(第8稿)。不破は 以前に書いた『マルクスと「資本論」』では 21章3節について 理解できなかったのか、「マルクスは病気だったから支離滅裂な文章になっている」と述べています。今回は記念論評なので そうとも言えず、触れなかったのだと思います。だが 『資本論』を取り上げながら恐慌論に触れないというわけにはいかず 自身もおかしいと思いながら「第3巻18章に書かれている」と述べたのかなと思われます(つまりごまかした)。

 未来社会論について。不破は
  「1860年の大統領選挙で反奴隷制派のリンカーンが勝利した時、奴隷制擁護の南  部諸州が内戦を起こしたのです。4年にわたる内戦は、リンカーン派の勝利に終り奴  隷制は一掃されました。大統領選挙の結果が、国の政治・経済の根本問題を解決した  のです。」と述べ
   1878年のマルクスの覚書「たとえば、イギリスや合衆国において、労働者が国  会ないし議会で多数を占めれば、彼らは合法的な道で、その発展の障害になっている  法律や制度を排除できるかもしれない。…それにしても、旧態に利害関係をもつ者た  ちの反抗があれば、『平和的な』運動は『強力[暴力]的な』ものに転換するかも知  れない。その時は彼らは(アメリカの内乱やフランス革命のように)強力[暴力]に  よって打倒される、『合法的』強力[暴力]にたいする反逆として」を引用して
  「これは、多数者革命論を、マルクスがはじめて提起したものでした。」
と述べています。
 おそらく不破は 平和革命(多数者革命、議会を通しての革命)が可能であると言いたいのだと思いますが 不破が例に上げたアメリカの内戦・南北戦争を マルクスは暴力的打倒の必然性の例として説明しているのです。実際 奴隷制の廃止は 大統領選挙の結果決まったのではなく、その後の4年間の内戦で北部が勝利することで決まったのです。自分の主張の正しさを説明するために 真逆の、否定する例をもってきているのには 驚きました。
 その上で 奴隷制の廃止は革命ではありません。革命とは それまでの生産関係の破棄を意味します。奴隷制を廃止しても資本主義のままです。しかも 資本主義を是とした上での1政策の変更(奴隷制の解消)でさえ内戦になったわけですから 資本主義ですべての資本(家)を破棄・打倒する革命に 資本家階級が黙って従うことなどありえません。存在としての自己否定が問われるだけでなく いまは資本(家)が国家権力を握っているので、その打倒も問題になります。韓国のローソク革命も ものすごい数の民衆の決起がありましたが(それ自身は凄いことですが) 政権の交代は実現しましたが、資本主義体制はそのまま維持されており 真の革命ではありません。
  「マルクスが、未来社会を、『発達の場』である『自由な時間』を社会のすべての人  間に保障する社会として展望したことは、すでに見てきました。… ところが、未来  社会論のこの本論が、…100年余りの間、ほとんど誰からも注目されず、見落とさ  れてきたのです。その最大の原因は、レーニンがその著作『国家と革命』で展開した  議論にありました。」
  「そこには、2つの柱が立てられましたが、どちらも、その理論組みにはマルクスの  見解の大きな誤解がありました。1つは、革命の理論で、武力による革命を社会主義  革命の普遍的法則として定式化したことです。…マルクスが、議会での多数を得ての  革命の可能性を重視するようになったことを無視した、誤った定式でした。」
  「もう1つは、未来社会、社会主義・共産主義の社会についての理論です。『ゴータ  綱領批判』で、マルクスが未来社会における生産物の分配方法の発展を論じている部  分をとらえて、…誤解し、生産力の増大に応じて『労働に応じた分配』から『必要に  応じた分配』に発展するのが未来社会の発展法則だ、という定式化をおこなったので  す。」
 不破の主張する1つ目の問題の誤りは すでに見ました。レーニンの誤りは 武力による革命を目指したことにあるのではなく、赤軍や民兵などの武装勢力の闘いと民衆の大衆的決起との結合をいかに図るかという視点の欠落です。第二インターの裏切りにあい、革命のできる党をつくらなければとの思いが強く 革命は民衆自身の事業だという視点が欠落したのだと思います。この点は2つ目の問題と関係します。
 2つ目の問題も 不破の指摘はまったくズレており、間違いです。未来社会の発展を問題にするなら レーニンの定式化は間違いではありません。問題は 未来社会における労働者や農民の存在形態を考えていないということです。資本制的生産関係の破棄・打倒を問題にしながら 資本主義に代わる生産関係、つまり労働者や農民が自らの生産場面でどの様な形態を採ることが生産の主人公性を保障できるのか を明らかにしていないことです。レーニンの誤りは それが明らかでないだけでなく、労働者や農民が自主的に革命過程から形成しかけていたその形態、生産協同組合化やミールの復活を潰していったということにあるのです。つまり 第二インターのスタティックな階級規定・認識からの決別が十全ではなかったのです。
 続いて不破は 過渡期について
  「旧社会が新社会に交代することは、歴史的な大事業で、短期間で済むことではなく、  一定の『過渡期』が必要になります。」「労働者階級が『奴隷制のかせ』を完全に脱  ぎ捨てて、社会と生産の主人公にふさわしい階級に成長するには、『環境と人間をつ  くりかえる』長期の歴史過程が必要だ、これが、マルクスの『過渡期』についての新  しい結論だったのです。」と述べています。
 この主張も 明らかにすりかえです。革命とそれを前後して資本(家)を破棄・打倒するのですから 破棄・打倒したところからただちに生産と社会の主人公である形態(生産協同組合とコミューン)をつくりだして行かねばならないのです。交代はただちに始めねばなりません。だが 労働者・農民が 資本主義の個人的損得感情から抜け出し、真に共産主義的になるには 新しい生産関係のもとで考えられるようになりきるまでの一定の期間がいるということです。不破は生産関係のただちの交代を完全に無視し(生産協同組合という言葉は一度もでてきません)、革命過程が長期であるかのように述べています。そうして 革命を彼岸においやっているのです。
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