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超帝国主議論について

超帝国主議論について
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   後半に花山君の「2016年上期景気動向分析(上)」を掲載
  しています。併せてお読み下さい。

 先月号で 超帝国主議論が間違っている理由として ①資本は1つに向かおうとするが1つになることはない ②過剰資本・過剰生産の危機に陥ると資本は「友愛」から「兄弟間の戦闘」に転化する の2つを上げました。②は 『資本論』Ⅲ巻15章の抜粋で示したようにマルクスが『資本論』で明らかにした論理ですが 実は①も マルクスが『資本論』で明らかにした論理なのです。Ⅰ巻24章7節で
    「…資本制的生産様式が自分の脚で立つことになれば、労
   働のいっそうの社会化、および土地その他の生産手段の社会
   的に利用される生産手段つまり共同的生産手段へのいっそう
   の転化、したがって私的所有者のいっそうの収奪が、新たな
   形態をとる。いまや収奪されるべきものは、もはや自営的労
   働者ではなく、多くの労働者を搾取しつつある資本家である。
    こうした収奪は、資本制的生産そのものの内在的諸法則の
   作用によって、諸資本の集中によって、なしとげられる。1
   人ずつの資本家が、多くの資本家をうちほろぼす。こうした
   集中、または少数の資本家による多数の資本家の収奪とあい
   並んで、ますます増大する規模での労働過程の協業的形態が、
   科学の意識的な技術的応用が、土地の計画的な利用が、共同
   的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化が、結合
   された・社会的な・労働の生産手段としての使用によるすべ
   ての生産手段の節約が、世界市場の網へのすべての国民の編
   入が、したがってまた資本制的体制の国際的性格が、発展す
   る。この転化過程のあらゆる利益を横奪し独占する大資本家
   の数のたえざる減少につれて、貧困・抑圧・隷属・頽廃・搾
   取の程度が増大するが、しかしまた、…労働者階級の反逆も
   増大する。資本独占は、それとともに―またそれのもとで―
   開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社
   会化は、それらの資本制的外被と調和しえなくなる時点に到
   達する。この外被は粉砕される。資本制的私有財産の葬鐘が
   鳴る。収奪者たちが収奪される。」とマルクスは述べていま
   す。
 この文は 資本主義の将来の歴史的傾向を示すもの、つまり革命の必然性を論じたものとして有名で 『資本論』Ⅰ巻の解説本のどの本にも必ず抜粋されています。だが「生産手段の集中と労働の社会化は、それらの資本制的外被と調和しえなくなる時点に到達する。この外被は粉砕される。」となぜ(論理的に)言えるのかです。宇野弘蔵は「将来社会の出現の必然性を説こうとしたのであろうが、それはいわゆる唯物史観をもって推論したものとしか考えられない」と 推論であって証明にはなっていないと述べています。確かに文字だけからは論証しているようには見えません。『資本論』は 長大であるだけでなく、1つの事象をあらゆる側面から微にいり細にいり論じているので 読み切ることが大変であるだけでなく そのことによってマルクスの論理を掴むのではなく、書かれている文言にあてはまるか否かと云々しがちです。しかしそれでは「マルクス読みのマルクス知らず」になってしまいます。カウツキーがそのよい例です。
 だから私たちは ここでは書かれていないマルクス自身の論理を掴まねばならないのです。ここでの論理は 資本主義は その成立期には自営的労働者を収奪していたが 「自分の脚で立つ」つまり資本主義になりきると「多くの労働者を搾取しつつある資本家」を収奪するようになる。言いかえると「1人ずつの資本家が、多くの資本家をうちほろぼす」ようになり「あらゆる利益を横奪し独占する大資本家の数のたえざる減少」が生じる。だから「生産手段の集中と労働の社会化は、それらの資本制的外被と調和しえなくなる時点に到達する」から「この外被は粉砕され」 今度は「収奪者たち[=資本家]が収奪される[=革命がおこる]。」と展開されています(外被とは資本制的生産様式です)。論理は 大資本家の数が減少していくと、資本制生産と矛盾・対立するようになり資本主義は崩壊する となっています。
 マルクスがそう言いきった論理・根拠が 実は<資本が世界的に一つになったときは、資本間の利潤・超過利潤競争、あるいは生産性向上の競争はなくなり 資本主義ではなくなる>なのです。資本主義は 資本間の競争をバネにして生産量の拡大や生産性を高め、自らの利潤増大を追求していきます。資本間の競争がなくなったとき 資本主義は自ら発展のバネ・根拠を失うわけです。言いかえると 資本主義は資本間の自由競争で成立しているのですが 世界が一つの資本になるとその自由競争が否定されることになるからです。進んでいく先が逆に自らを否定するものになるなら 必ずその進展過程で衝突がおこるという訳です。
 レーニンは この文を導きの糸として『帝国主議論』を著したのだと思います。だから資本主義は自由競争から独占にとってかわったと展開しながらも、その独占は自由競争を排除するのではなく、自由競争の上にそびえたつ独占だ と規定したのです。
 他方、カウツキーは この<世界が一つの資本になったときには資本主義ではなくなる>の論理が掴まえられなかったから 「大資本家の数のたえざる減少」から世界の資本が一つになった「超帝国主義」を思いついたのだと思います。つまり マルクスの衝突=革命の論理が掴めなかったのです。


2016年上期景気動向分析(上)
―――――――――――――――   花 山 道 夫
  学習会で花山君が報告したものです。少し長いので 私の一存で
  上下に分け 下は3月号に掲載します。(松)

 は じ め に
 「景気動向分析」という表題で年2回ほど報告させていただいておりますが 最初の頃は危機論にバイアスがかかったのが多かったのですが 10年ほど前からは論点を絞ってというスタイルに変えたのではなく何となくそうなった。つまり、トンデモな論や気になる争点があったからである。今回のそれは『展望第17号』の「新自由主義的グローバリゼーションと対決する民衆運動の構築へ」で出されたレーニンの帝国主義の規定に関する問題である。実は花山も気になっていたのではあるが、あまりにも大きな問題であるのでいずれやらなければならないと思いながら先延ばしにしてきた。しかし、今回これが出てきた以上逃げるわけにはいかないので、勉強させてもらうつもりで挑戦した。この種のテーマで重要なことはどう思うかではなく、過去に行われた論争を振り返ってみるということも不可欠であり、加えて実証分析に裏打ちされていなければならない。言うは易く、行うは難し。つまりそう簡単にはいかないので、全面展開は時間的にも能力的にも無理なので、今回は若干の感想を述べるにとどまったことをお許し願いたい。

Ⅰ レーニン帝国主義論の5つの基本的標識
  段階論としての『帝国主義論』
 いわゆるレーニンの『帝国主義論』の正式な表題は『資本主義の最高の段階としての帝国主義』なので段階論としてとらえることが肝である。まず章別構成を見ておこう。なお、引用はレーニン10巻選集⑥(大月書店)からである。……[各章の表題は略 松]
 1章から6章までの「帝国主義の基本的な経済的特質の関連と相互関係」をまとめて、7章で帝国主義の5つの定義を与えている。
  (1) 生産と資本との集積が、経済生活で決定的な役割を演ずる
  独占を作り出すほどに高い発展段階に達したこと。
  (2) 銀行資本と産業資本が融合し、この「金融資本」を基礎に
  して金融寡頭制がつくりだされたこと。
  (3) 商品の輸出とは異なる資本の輸出が特に重要な意義を獲得
  しつつあること。
  (4) 世界を分割する資本家の国際的独占団体が形成されつつあ
  ること。
  (5) 最大の資本主義列強による地球の領土的分割が完了してい
  ること。
 このうち(1)から(3)については異論は出ない。レーニンの時代に比べれば更に拡大している。ただし、(3)については第3章で取り上げる。問題は(4)と(5)であるが、特に(5)についてはものすごい見解もあるので少し長いが先に紹介しておこう。
    レーニンの帝国主義研究から半世紀を経た20世紀の後半
   に、世界的な植民地体制は崩壊し、それにもかかわらず旧植
   民地保有国は資本主義の国として、特に衰弱することもなく、
   むしろ急速な発展を遂げるという現実が生まれます。これは、
   帝国主義が世界産業史的に資本主義の「最後の段階」ではな
   かったことを明らかにし、個別の国についても帝国主義の国
   から「植民地なき独占資本主義」への発展が可能であること
   を示すものでした。
    …こうした帝国主義と独占資本主義の区別と関連をあらた
   めて明らかにし、加えてアメリカのように政策と行動に侵略
   性が体系的に現れている国を、今も帝国主義国と呼ぶという、
   帝国主義評価の今日的な基準を明らかにするものとなりまし
   た。これによって、レーニンの「帝国主義=最後の段階」論
   は、はっきり乗り越えられることになりました。(石川康宏
   「資本主義の発展段階を考える」新日本出版社『経済』2015
   年1月号 )
    私(石川)は「アメリカは、いまだ〈植民地なき独占資本
   主義〉への進化を遂げることができない、遅れた資本主義の
   『帝国』だと書いたことがありますが(注:『前衛』2005年
   9月号)… むきだしの資本の論理を「新自由主義」の名で世
   界に広げようとした行動など、アメリカが北欧やEUの指導
   的諸国に対して、総体として「遅れた資本主義」になってい
   ることは明らかなように思います。(石川康宏「資本主義の
   限界を考える」新日本出版社『経済』2009年1月号)
 石川はこの論考の中で「資本主義にはその内部で成長し発展する、いわば懐の深さといったものがあるわけです。その懐の深さは、資本主義が今日直面する課題の克服に際しても大いに発揮されるものとなるでしょうし、それを十分に発揮させていかねばならならないと思います」とも述べている。実はこの論考は編集部のインタビュー(マスコミの議論には「資本主義の限界なのか」「限界だったら社会主義なのか」といった問題の立て方をするところもありますが、そもそも科学的社会主義は「資本主義の限界」をどう考えるものでしょう)に答えるという形になっている。だから限界を認めると社会主義革命になるので当然帝国主義段階などというのはありえないのであり、非帝国主義独占資本主義国である日本やEU主要国などでは「資本主義の枠内での改革」を強く押し出すことが重要になるということらしい。
 では次に本題の『展望』の気になる点であるが、[Ⅲ]新自由主義的グローバリゼーションとは何か (5)帝国主義とグローバリゼーション で先に上げたレーニンの5つの定義をあげた後、(1)から(3)まではレーニンの指摘した傾向が飛躍的に強まっているとした上で「前項で述べたように、グローバリゼーションとは、世界を単一の金融市場へと統合しようとする資本の運動である。すなわち資本の傾向が『市場の分割・再分割』から『市場統合』へと変化しているのである」として、(4)(5)については今の資本主義には適合しないことを示唆している。その後段の結論部分を引用する。
    レーニンは、生産と資本の高度な集積によって「独占」が
   「自由競争」に取って代わり、金融寡頭制が登場して、眼前
   で進行していた第一次世界大戦が、帝国主義による市場・領
   土の再分割戦争にほかならないことを明らかにした。そして
   帝国主義を打倒しない限り世界戦争は不可避であることから、
   「祖国防衛」に転落したドイツ社会民主党を領袖とする第二
   インターナショナルの裏切りを徹底的に批判した。そして、
   「帝国主義戦争を内乱へ」=自国帝国主義打倒に実践的スロ
   ーガンを復権させ、プロレタリア世界革命への展望を切り開
   こうとしたのであった。
こうしたレーニンの実践的な態度に学ぼうとするならば、
   まずもって「市場統合」という最新の資本主義=新自由主義
   的グローバリゼーションの傾向に注目すべきであろう。…
 先に上げた日本共産党(以下CP)も『展望』も共に(4)と(5)はレーニンの時代と現在は違うという。前者は、だから帝国主義ではないという。論理としてはすっきりしている。後者は、①a「市場の分割・再分割」→b「市場の統合」 ②「帝国主義戦争を内乱へ」=自国帝国主義打倒という実践的スローガンに学べという筋立てである。CPの場合は主に(5)を根拠に論を展開しているのであるが、a「市場の分割・再分割」の×[バツ]
はあるがbはない。『展望』は、aが×なら帝国主義戦争もなくなるのでないかという疑問に答えてない。ECの市場統合とかFTA(自由貿易協定)・TPPの市場統合(実はブロック化)というなら理解できるが。「グローバリゼーションとは世界を単一の金融市場への統合に向かう資本の運動である」というのがそもそも理解に苦しむ。もっと問題なのはa「市場の分割・再分割」を否定する形でb「市場の統合」を持ってきた点である。この点においてはCPと共通であるということを指摘しておきたい。
 百歩譲って解釈しなおすと第一次世界大戦、第二次世界大戦はともに帝間戦争であったが、「市場統合」という最新の傾向を考慮すると今次の地球規模の戦争の本質はオール資本の「抵抗する国家(政権)や運動(勢力)の軍事的粉砕を目的として遂行される戦争である」ということになる。つまりa「市場の分割・再分割」を否定している以上、帝間戦争はないことになる。
 そもそも「グローバリゼーション」の定義が問題である。グローバリゼーション=金融市場の統合と等号で結んで、なぜ金融に限定するのかの説明がない。グローバリゼーションとは全世界市場に対する資本への無条件の開放を意図するものであり、もし全世界で統一のルールが決められたならば「市場統合」といえるかもしれないが、資本にとって参入規制がなくなるということは「市場分割・再分割」に他ならない。資本規制がなくなるというのは自由競争なので最終的には強いものが勝つことを意味するのである。でも実際のところは何も論及していないのでこの辺のところを次章以降で詳しく展開していく。

Ⅱ 第二次世界大戦と植民地独立戦争
  アジアにおける帝国主義の撤退
 第二次世界大戦における日帝の敗退における支配の空隙を契機としてアジアで独立が続いた。ベトナムにおいても45年9月、ホー・チ・ミンを大統領とするベトナム民主共和国が成立を宣言したが、まもなく復帰したフランスの攻撃を受け、インドシナ戦争(1946―54)がはじまった。しかし真の独立は2万人強のフランス軍部隊のうち、少なくとも2200人が戦死し、1万人以上が捕虜となった54年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いまで待たなければならなかった。ここでもフランスは植民地支配がいかに大変かを思い知らされた。だが、戦闘はベトナム戦争(対米戦争)として対戦相手はアメリカとなって継続した。75年4月30日のサイゴン陥落まで長い戦いであった。

  アフリカの独立
 アジアの民族自決の影響をうけアフリカ諸国の動きも活発になった。1954年アルジェリア民族解放戦線(FLN)が組織され、同年11月1日に一斉武装蜂起を開始。アルジェリアの独立闘争は極めて激しいものとなった。こうした中で56年にはチュニジア共和国、モロッコ王国がフランスから独立した。翌57年にはガーナ共和国が、58年にはギニア共和国が成立した。さらに60年は「アフリカの年」といわれ、カメルーン・トーゴなど17ヶ国が独立した。そして62年にはアルジェリアも独立を果たした。「しかし、過酷な植民地支配の影響、部族対立や人種問題、さらには独立後も政治的・経済的手段を使って間接的に支配しようとする新植民地主義との対決などの難問題があり、独立後しばしば内乱や紛争が起こった」(『もういちど読む山川世界史』山川出版社)。
 結論としていえることは、植民地経営が経済的にも政治的にも採算が合わないから撤退したのであって、それ以上でもそれ以下でもない。これは植民地支配がないから帝国主義ではないなどというCPへの反論でもある。徹底的に独立を阻止しようとすると最終的には利権もすべて失ってしまうというので独立を認めた方がよいという判断が働いている。直接支配はコストがかかりすぎるのである。

Ⅲ 国家独占資本主義
  宇野段階論と国家独占資本主義
 少し脇道にそれるようですが、次の展開の伏線になっているのでおつき合い下さい。周知のこととは思いますが、宇野段階論について簡潔にまとめますと宇野は経済学の研究を原理論・段階論・現状分析という三つの段階に分けた。肝は『資本論』をそのまま用いて現状分析をしてはダメだということ。「帝国主義段階は決して資本主義の自由競争の発展の延長線上に出てきたのではない。そうではなくイギリス資本主義が支配する世界の中に、後進国が資本主義化を開始するとむしろイギリスのように自由主義段階を経過することなく、国家の強力な庇護のもとにイギリスを凌駕する高い生産力を持った強固な独占体制の資本主義をつくりだす。ドイツで実現されたこのような金融資本の支配する後進資本主義こそ帝国主義段階の資本の典型だというのである。綿工業生産で世界を支配しているイギリス資本主義と対抗して資本主義を発展させるためには、重工業を基幹産業とし、最初から株式会社形式をとって銀行と癒着しながら、国家による独占保護政策を強力に展開する以外になかったのである。従って自由競争が普及していたイギリスではかえって独占形成が立ち遅れる。そのためにイギリスは膨大な資金を海外に投下して世界金融市場をポンド体制にすることによって、金融的利益を拡大していく利子寄食者たらざるを得なくなる。こうしてイギリスは保守的な金融資本国家になり、アメリカやドイツのような途上国は、急速に株式会社形態を通して重工業独占体を形成する攻撃的帝国主義国家になる」(『マルクス理論の再構築 宇野経済学をどう活かすか』伊藤誠・降旗節夫共編あるいは『宇野理論の構造と現代』降旗節夫 より)。
 原理論は論理的に構成された純粋な形での資本主義経済の法則を解明し、段階論は資本主義経済の歴史的な発展段階を把握し、現状分析では原理論や段階論の研究成果を前提として現実の資本主義経済を分析するものとした。この三段階論により、マルクスの『資本論』は原理論、レーニンの『帝国主義論』は段階論に属する著作として位置づけられ、資本主義経済が19世紀の自由主義段階から20世紀の帝国主義段階に移行しても『資本論』は原理論としての有効性を失わないというのが宇野段階論の標準的な理解だと考えられますが、レーニンは現状分析として『帝国主義論』を書いたのでそこのところは心しておかなければならない。
 ここで、現状分析としての現代帝国主義論を論じるにあたって一冊の本を紹介しておく『日本国家独占資本主義の成立』(姫岡玲治 1960.9 現代思潮社)。姫岡玲治について知らない方もおられると思いますので簡単に紹介しておきます。……[略歴紹介は略 松]
 ここでなぜこの本を取り上げたかというと、1950年代に日本帝国主義が復活したかどうかという議論があった。つまり、ここでもレーニンの5つの指標が問題になったわけであるが、姫岡がどう処理したかを見ていこうという趣旨である。当時問題になったのは実は(4)と(5)ではなく(3)であった。復活を否定する側の論理は、過剰になるほど
資本が蓄積されていないというのがその論拠であった。
 順を追ってみていこう。先の宇野の段階論で説明したようにドイツとアメリカは株式会社形態で資本を蓄積したと紹介したが、日本においては「高度に発達した機械制大工業を最初から官営という形で移植することによって出発し発展した日本の工業は、有機的構成が高く、大量の労働力を相対的には必要としなかったし、また必要とする労働力も婦女子の労働力によってまかなわれた。」(p28) 「明治初期為替両替商(銀行業)物産方(商業)によって本源的富を蓄積した三井、海運事業によって資金を蓄積した三菱をはじめ何らかの形で政府と結びついた古河、久原などの特権的商人に殆んど無償に近い価格で払い下げられたのである。…したがって官業の払い下げは決して一般的な近代産業移植の道を表すのではなく、むしろ特権的政商との結びつきによって、それ自身原始的蓄積の一要素をなしていたのである。」(p30) 以上のような条件の下で成立した日本資本主義は有機的構成の相対的高度化によって「原始的蓄積過程で没落した農民の工業への吸収をいちじるしく制約し膨大な慢性的過剰人口を農村に堆積させる。この過少農民の競争の結果として生まれたいわゆる《寄生地主制》によって、…独占価格を通ずる農業に対する収奪的利益とともに、労働の強化を実現し、急成長を図ることができるようになるのである。」(p31)
 国際的な帝国主義の環境の中で成立した日本資本主義は、原始的蓄積過程が国家の支援の下に行われたことにより初めから政商的利権を基礎とする同族資本的企業として出発し発祥的事業を基礎として他の事業へ拡張するとともに、その最高支配権は家族的封鎖的特色を持った特殊持株会社が支配する構造であった。その支配構造を維持するため株式を広く集めるという形でなく「財閥銀行が傘下の大企業から流入する資金に、集中された預金を合体せしめ、傘下企業の要求する資金の調整をつかさどる役割を果たすようになるのである。」(p40) いわば基幹銀行が傘下の企業に資本金を貸し付けるような形態であった。
 実はこのような形態を引きずって戦後も敗戦帝国主義西ドイツが本格的な資本輸出をしているのに対し、統計上では微々たる資本輸出しかしていないことをもって日本の帝国主義は復活していないという議論が起こった。それに対して姫岡は「今日の日本資本主義は…その形態と内容は明らかに国家独占資本主義に特有なものを持っており、またそこに特有の矛盾も形成されるわけである。したがって、レーニンの帝国主義論にたいする5つの特徴付けを、標識としてバラバラにし、その一つ一つが日本資本主義の現実に適応するかどうかというプラグマテイックな方法論ではマルクス主義は石女(ママ)となるだけであろう」(p111)として次のように反論している。つまり、その当時は確かにレーニンの言う過剰資本による資本の輸出は「有機的構成が低く、経営に要する資金の調達が容易で、しかも資本投下から設備の稼働を開始するまでの期間が短く、たえず過剰設備が顕在化しているところの綿紡資本の輸出が典型的ぐらいのものである。」(p114)としながらも、政府借款や現地企業に対する融資という形でのプラント輸出という形での資本輸出を実現したのである。利子生み資本形態での資本輸出が新たに創出されたのである。「日本対外膨張の要」となっている資本輸出は国家のテコ入れ〈国家独占資本主義的方策〉を媒介として拡大していったのである。かくして日本帝国主義の復活が確認された。

Ⅳ 世界市場再分割
  アベノミクスの破綻
 ステージⅠの第一の矢は金融緩和によるデフレの克服であったが、株価の上昇と不動産物件の上昇に多少の効果はあったかもしれないが、物価上昇は円高による輸入物価の上昇という形でしか効果は表れていない。これまで何度も言ってきたようにマネタリストは因果関係と相関関係を混同しているのである。物価の上昇→貨幣量の増加で逆は真ならず。ステージⅡでは内閣官房参与の浜田宏一と本田悦朗はステージⅠの失敗で作戦参謀の任務を外されたが(参与という役職を外されたわけではないが、ステージⅡにはかかわっていない) 司令官の日銀総裁黒田東彦は任期の関係もあって切るわけにいかない。もし切ることが可能だとしても切った段階でアベノミクスの失敗が満天下に明らかになる。○○殿の辞任は避けられない。逆に言えば、黒田の失敗が明らかになった段階(具体的には執行部案が否決になるような事態、実際のところメンバーから見てあり得ないが)で安倍は終わりになる。

  「要望」「願望」路線に転換したアベノミクス
 ①最低時給を1000円に ②携帯電話料金を引き下げよう ③企業は設備投資を増やしてと このところ安倍政権はやたらと「要望」が多い。また黒田総裁も企業収益の大幅な改善の割に設備投資の伸びが低いと不満を漏らす。この背景には企業が儲かっているのに庶民の暮らしは苦しくなるばかりという不満が爆発するのを恐れているのだが、新3本の矢の ④GDP600兆円はバブル期以来の年3%成長を達成しなければならず、単なる「願望」に過ぎない。⑤出生率アップも、労働者派遣法改悪で若者の労働・経済環境をさらに悪化させておいて、どうやって結婚や子育てをしろというのかという怒りの声が聞こえてくる。⑥介護離職ゼロに至っては言語道断、支離滅裂。安倍政権がもともと低い介護報酬をさらに引き下げたので人手不足は相当深刻な状態になっている。有効求人倍率(2015年11月)全国でみるとすべての職種の合計である 職業計1.17(常用:含パート)に対して職種別統計の内、介護サービスは2.93で新規求人倍率では4.17となっている。有効求人196、867に対して実際に就職したのは8、644人に過ぎない。都市部で見るとさらに深刻。ハローワーク新宿では2、627人のフルタイムの有効求人数に対して有効求職者数228人と実に11.52倍となっている。パートタイムでは1、411人の有効求人数に対し有効求職者数は68人でなんと倍率は20.75である。これからこの職種はさらに必要人員数は増える。(注:有効とは前月分からの分も有効という意味、新規とは今月から新たに加わったという意味)
 ①②⑥は「要望」や「願望」ではなく政策対応でできる。⑤についても労働環境の改善という観点だけで見れば政策対応も可能であるが路線変更ということなので安倍政権の下ではありえない。④は人間でいえば若返るというようなもので例えば移民をどんどん受け入れるということをすればしばらくはいけるかもしれないがこれもあり得ない。問題は③であるが、GDPが伸びていて企業収益が伸びているなら賃金も設備投資も伸びるはずなので、GDPが伸びずに企業収益が大幅に改善したのは賃金が減ったからに他ならない。だから、経団連にお願いして大企業の正社員の給料が多少上がったからといって解消しない。問題は中小零細企業に勤める庶民の懐具合がどうなったかである。うどんのトッピングを値上がりしたエビ天からチクワ天に替える労働者の賃金が増えない限りGDPは増えない。GDPが増えないのだから設備投資は更新投資しかできません。むしろ今は設備を企業の統合で減らしている業界もある。石油元売り業界では、昨年の11月には2位の出光興産と5位の昭和シェル石油が競争力向上に向けた合併で基本合意したのに続いて、国内首位のJXホールディングスは、3位の東燃ゼネラル石油に経営統合を打診した。元売り各社は、人口減少(若者の車ばなれ)や省エネ化(燃費向上、ハイブリッド車)や電気自動車の登場による石油需要の減少で収益力が低下しており、規模拡大による収益の向上へ向けて統合が加速している。1970年代には20社ほどが割拠していた石油元売り会社がついに3社体制へと集約されることになった。この状況で設備投資すればシャープのようになる。こういう言い方をするとシャープの経営陣に失礼になるがシャープが液晶パネルで巨額投資した時よりも現状は悪い。
 このような状況は先進国ではどこでも同じようなものなので、競争力強化のため国境を超えた統合も今後とも加速していく。だから企業がため込んだ資金を使うとすれば設備投資ではなくM&A、企業の合併買収しかないわけである。使わないでおいておくと村上ファンドのような「モノを言う株主」なんかに狙われるようになる。昨年8月の黒田電気の株主総会で村上ファンド側の提案はすべて否決されたが、2016年3月期の配当を結局36円から94円に引き上げることになり、村上側の意図は一定程度達成されたともいえる。ここでこれに関連して付け加えておきたいことがあるのでまた脇道にそれることをお許し願いたい。 [3月号に続きます]
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