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『未来』243号の三木青山氏の投稿について


『未来』243号の三木青山氏の投稿について
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 革共同再建協の『未来』243号(18/4/05)に 三木青山氏が「検証 天皇退位を前に正しい歴史を 虚構の古代天皇制を明治維新で復活」という論文を投稿されています。私はこの見解は一点をのぞき、まったく正しいと思います。すべての人にこの見解を知って欲しいので 全文をコピーし添付します。(省略:再建協のホームページを見て下さい)

 三木氏は 前半は「明治150年の実態」として 安倍政権や支配層の明治賛美の動きを批判しています。「遅れた帝国主義として欧米列強の後塵を拝しながら近隣諸国を侵略し植民地とし、続く欧米帝国主義との戦争で……無条件降伏したという破綻の歴史であった。それはまた、北海道『開拓』・『琉球処分』・日清戦争・日露戦争・中国東北部への侵略と日中戦争・アジア各地への戦争拡大で、侵略された国ぐにの人々から命や財産を奪い人権を蹂躙し人間性を破壊した歴史でもあった。」と。後半の「『日本書紀』の虚構」では倭国の存在が明示されていて、実に画期的です。「明治以降の国家のバックボーンとなった天皇制は、倭国の先在を消し自己王朝を正当化するために720年に編さんされた日本国の歴史書『日本書紀』の記述を証明抜きで前提とし、『支配者といえば昔から天皇家しかない』という先入観から導き出された虚偽の歴史のもとに作られたものである。」と書かれています。
 前半については 闘う民衆の間では「常識」になっていると思いますが 後半については いまだ「常識」になっていないと思います。というか 確かに戦後「『古事記』や『日本書紀』の記載は神話であって事実とは異なる」とは言われてきましたが 大和朝廷の前に倭国が存在したという真実を主張する見解は 学校教育では勿論のこと運動圏でも聞いたことがありません。神話だからウソがあって当り前として 日本の左翼は 日本古代史の真実を解明することを放棄してきたと思います。その結果 ほとんどの人が 大和朝廷以外の王家は存在したことはないという「大和朝廷一元史観」を 間違いだと言えないが故に、信じ込まされてきました。支配階級のウソを信じているようでは革命を起こすことは非常に困難だと思います。すべての左翼に 天皇(制)とは何かを明らかにすることが問われています(それが天皇制からの真の決別になる)。
 森友・加計、自衛隊日報とこの間安倍政権のウソが次々と暴露されていますが もともと日本国・天皇自身が虚偽の上に成立しているのです。日本の支配者は民衆にウソをつくことが「仕事」のようです。
 大和朝廷一元史観は 弥生人の集落が大きくなってクニになり その一つが他のクニグニを制圧して朝廷を作ったというものです。しかし 国家・階級対立は 貨幣と同じように、共同体と共同体が接するところで作られたのです(国家は一方による他方の制圧・支配で、貨幣は両者の交易という接し方の違いはありますが)。一共同体だけではどちらも成立しません。原始共産制のままです。より厳密に言えば 最初の国家・階級対立は 5000年前の四大文明の発生で明らかなように 水田耕作の農耕民を狩猟+採集民の末裔である遊牧民が征服・支配することで生じたのです。倭国の支配者も大和朝廷も 弥生人ではありません。中国や朝鮮などから来て 先住の弥生人を支配した人たちです。
 『共産党宣言』は有名な「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」で始まっていますが 大和朝廷一元史観は歴史認識の核心中の核心であるこれを否定するものです。氏が述べるように この大和朝廷一元史観は 明治政府によって作られ、学校教育や軍人勅諭を通して民衆に押し付けられたものです。江戸時代には 倭国の元号が解明されていたそうです。聖徳は倭国の元号だそうで 仏教をひろめた蘇我氏の代りにデッ チ上げた架空人物の名前をわざわざ聖徳太子としたのは 近畿財務局の役人が安倍昭恵の名前を書いたのと同じように 後世の人が真実にたどり着けるようにと書いたのではと私は推測します。

 私のただ1つの疑問は 607年に随の煬帝に国書を出したタリシヒコを 三木氏は倭国の王としていることです。当時大和朝廷はまだ存在していなかったので、倭国と思いがちですが それまで1000年近く中国と交流していた倭国が ともに「天子」と表現し、対等だと言うでしょうか。中国は諸王の上に立つ皇帝であり、倭国は王です。また 何回も王朝の交替を繰り返している中国の皇帝が 自らを「天子」と呼ぶことはないと思います。確かにこれから戦争をしようと構えていたら対等だと押し出すかもしれませんが 倭国が中国(唐)との戦争を考えたのは 唐の膨張・拡大政策の前に、百済が倭国に救援を求めてきた660年頃以降だと思います。私は 倭国でも大和朝廷でもないと思われるので 国書を出したのは倭国の近畿総督(いわゆる諸「大王」を監視する役)であった蘇我氏だと思います。1回目の国書は国ではないからとまったく無視されたので 2回目は対等だと強く出たのだと思います。だがそのことによって 蘇我氏が倭国から自立しようとしていることが倭国にバレ 645年の「大化改新」=蘇我氏滅亡につながっていったのだと思います。蘇我氏を打倒したのは大和朝廷の前身ではなく、大宰府が首都であった倭国自身だという見解が 正しいと思います。
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