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「展望」21号を読んで


「展望」21号を読んで
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 革共同再建協の理論機関誌『展望』21号が発行されました。本誌は8本の論文・報告が掲載されています。皆さんには買って欲しいので(営業です)、内容の詳しい紹介は避け 私の感想・意見を述べたいと思います。

 最後に掲載の再建協の「我々をとりまく情勢~2017年度総会報告」は その前半、世界情勢の重心であるアメリカ・トランプ動向は すでに『未来』245号(18/5/03) に「焦点 アメリカ覇権は終焉に向かうか」と題して掲載されていて この『通信』先月号で「現在版超帝国主義論だ」と批判しました。
 つけ加えるとすれば トランプのTPPからの離脱や関税障壁を設ける貿易・通商政策の転換は 「覇権の終焉」ではなく 「覇権を使った帝国主義間争闘戦の開始」であり、「第3次帝間世界戦争に向かう道の扉を開けた」というものだと思います。
 マルクスは『資本論』で「競争は、一般的利潤率の均等化のところで明らかにされたように、資本家階級の実践的友愛として作用するのであって、彼らは、各人の投資の大いさに比例して共同の獲物を共同に分配する。だが、問題がもはや利潤の分配でなく、損失の分配となれば、各人は、できるだけ自分の損失分を少なくして他人に転化しようとする。… さて各人がどれだけの損失を負担すべきか…は、力と智能の問題となるのであって、競争はこのばあい、敵対する兄弟間の戦闘に転化する。」(Ⅲ巻15章、恐慌論)と述べています。
 第1に 「戦闘への転化」の始まりとみるべきものを「覇権の終焉」と見ることは 戦闘=帝国主義間戦争への道に踏み出しはじめたことを見ないものであり 帝国主義の凶暴化を否定し、美化するものです。
 第2に 転化は「利潤の分配でなく、損失の分配」状況に入ったから生じるのですが それは 資本主義的発展が完全に行き詰まったことを示しているということです。
 74~5年、戦後の復興・発展が過剰生産の壁にぶつかり恐慌(石油危機と呼ばれた)を引き起こしましたが それ以降、各国は 国債発行で得たカネを投入して金融危機から恐慌爆発へと進むのを防いできました。それは 資本の危機を国家が肩代りしてきたということであり いまや国家自身が倒産・破綻の危機(財政の崖と言われている)に追いつめられています。
 第3に カウツキーが超帝国主義論を唱えたのは 20世紀初頭、19世紀末の20年間にわたる長期の不況の後、帝国主義が成立し 海外侵略へと向いはじめた時でした。そしてその動きは 日露戦争から第一次世界大戦へと進んだのです。つまり「戦闘への転化」の始まりの時であったのです。現在版超帝国主議論、まさに「歴史は繰り返す」です。
 総会では この報告に対し数人から批判や誤りが指摘されました。報告者はそのほとんどを認めたのに ここでは訂正されないまま掲載されています。例えば「筆者はポピュリズムを大衆迎合主義としているが大衆扇動主義ではないのか」など。小池都知事の豊洲問題も大阪維新の都構想も 民衆から発案されたものではなく、彼ら自身がそれまでの自民党の利権構造を潰すために言い出したものです。報告を訂正しないまま載せるのであれば当然総会で出た反対意見も載せるべきだと思います。それが民主主義であり、開かれた議論だと思います。いまさら スターリン主義的な一枚岩でもないでしょう。編集委員会の反省を求めたいと思います。

 最初に 落合薫氏が「安倍打倒・改憲阻止のために」を書いています。憲法そのものをテーマにしているのではなく 改憲阻止闘争つまり運動論としての提起になっています。
 第1に 筆者は「少数与党の独裁を導く選挙制度」として 法外な供託金制度・警察管理の「べからず選挙」・小選挙区制の3点をあげていますが もう1つ「期日前投票」を加えるべきだと思います。1日だけの投票日では都合で投票にいけない人が出てくるので2、3日の投票期間を設けることは必要かなとは思いますが 告示とともに投票できるということは 立候補者のそれぞれの公約を聞かずに投票せよということであり 選挙前の組織性(力)が当落を決めている、選挙運動そのものを否定するものだと思います。
 第2に 「自公がつねに勝利する『3:2:5』法則」として 小熊英二氏の論を紹介しています。「有権者数は約1億人で固定。保守=自公で3000万、リベラル2000万、残りは棄権を含む5000万」という説で 「安倍1強は小選挙区制+大量の棄権+公明との連携」で成り立っていると明らかにしています。
 単純化すれば 投票率が6割を切れば自公の勝利、6割を越えれば野党・リベラルの勝利になるとなります。だから 野党・リベラルが勝利するためには 棄権の1000万人以上を政治情勢・選挙運動で投票に行かせられるかがポイントとなります。筆者は 改憲阻止の闘いとして 3000万署名を進めながら改憲を発議させない状況をつくりだし、もし国民投票になれば安倍のリコール投票に転化しようと述べていますが この「リコール投票に転化」なる提起は 一般論としても重要だと思います。つまり 棄権の1000万人が投票しようと思うためには 選挙を選択の問題として提起するのではなく 民衆の要求を実現する手段として提起するということだと思います。
 例えば 原発問題で言えば 原発推進か脱原発かを選択する投票ではなく、脱原発を確定するための投票に変えれるかということです。前者は 4年に1度、どの支配者がベターかを選ぶものであり、「他人依存」の繰り返しですが 後者は 民衆が社会の主人公になっていくための一プロセスだと思います。
 新潟県知事選は3万7千票の差で脱原発派が破れましたが 自公系候補は「原発の是非は県民が決めるもの」と争点外しを行い 自民党は二階幹事長など大物を投入しながらも、街頭演説は一切おこなわず、業界団体の票固めに走り回っていたと言われています。街頭で自公と野党が正面からぶつかり合う論戦を行えば 当然選挙の争点は鮮明になり、選挙戦は過熱します。そうなれば 投票率が6割を越え、野党の勝利になるかもしれません。だから自公は 自ら正しいと思う意見を展開するのではなく 選挙に勝つためのデマ・ペテン(例えばアベノミクス)を展開しているのです。ブルジョア選挙制度の他人依存・「数年に1度、支配者を選ぶ」選挙を どうすれば民衆が社会の主人公になっていく闘いに転化できるか 知恵を絞らなければならないと思います。
 第3に 落合論文では触れられていませんが 改憲派は「現憲法はアメリカから押し付けられたもの」だから自主憲法をつくるのだと主張していますが この主張は詐欺そのものであり、民衆をたぶらかすためのものです。なぜなら 現憲法は 第二次大戦で勝ったアメリカと負けた日本の支配者たちが 民衆による戦後革命を起こさせない=資本主義体制を維持する=共産主義化させないという基本線で一致して妥協・合意したモノです。その基本線の上で 日本に二度と戦争を起こさせないと考えるアメリカと それまでの支配者・権力者をできるだけ無傷で残したいと考える日本とが 攻めぎあって成立したものです。日米の支配者が合意したものであって 「押し付けか自主か」ではないのです。その上で Peopleを国民と異訳したという有名な話がありますが 日本の支配者は 姑息にも翻訳でさらに自らに都合のよいように変えているのです。日米安保条約と地位協定は 吉田茂首相が小部屋に閉じ込められて1人で署名しただけのもので アメリカによる押し付けの最たるものです。だが 改憲派は 押し付け憲法反対といいながら 安保条約と地位協定には反対するのではなく、賛成しています。論理矛盾そのものです。彼らの本音は 資本主義的発展が完全に行き詰まったが故に、海外の権益を維持するために海外で戦争できる軍隊を持ちたいということであり 押し付け憲法論はその煙幕に過ぎないのです。運動圏の人が「押し付けではない・自主憲法だ」と「証拠」捜しに没頭することは 改憲派の詐欺的土俵に乗せられていると言えます。
 ついでに言えば 国対国の戦争は 資本主義以前は民衆に対する支配権(その核心は租税権)をめぐる闘争だったので 負けた方は徹底的に解体・壊滅させられました。だが 資本主義では 資源や商品市場、あるいは労働力としての人間を獲得するための戦争に転化しています。相手権力の全面的な解体を求めてはいません。その代わりと言えば変ですが 資本主義の戦争は 国の総力をあげた戦争(総力戦体制)になっています。民衆自身に戦争参加・協力の是非が問われています。

 「10.8羽田闘争50年に寄せて」として 板倉元朝氏の「山崎博昭君と共に!」が載っています。彼とは 学生時代からともに闘ってきた仲間ですが 大学が違ったので、活動を始める前の話はしたことはありませんでした。河内長野で少年期を過ごされたことは初めて知りました。私は すでに学生戦線を離れていたので、10.8闘争には行っていませんが 当日昼前ラジオで山崎君が亡くなったことを知り、社に駆けつけ 大先輩のTKを電話で呼び出して原稿を書いてもらい ガリ切り・スッテングをして、夕方大阪駅前東口広場で「権力の山崎君虐殺弾劾!」のビラ配りしたのを 思い出しました。
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コメント

5月3日の新聞

今年の憲法記念日の確か日経の朝刊だったかに、憲法についての識者のコメントが掲載されていました。そして経済同友会の方が日本の海外展開している企業の安全を確保するために、紛争時には自衛隊を海外に派兵すべきであると明言していたことに驚きました。これは90年代や00年代に渡辺治氏が主張していた憲法を改悪して自衛隊を海外に派兵して日本の経済権益を確保するのが財界と政府の意向であるという主張に正面から答えていると感じたからです。日本帝国主義による帝国主義間戦争参加のための改憲であると主張することが大事になりますね。

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